ちょっと目に見えない世界について、存在を信じ始められるようになると起こっている現象に何らかの意味付けをしたくなると思います。
いい例でいうと、神社に行ったときに偶然太鼓の音が聴こえたら「これは、神様に歓迎されているサインだ」とか。
日常のラッキーに気付けたり、ありがたいことに気付けるようになってくるのではないでしょうか。
この考え方は、確実に幸せに向いているのでとても良い傾向だと思います。ただ、自分にとって今不要と判断していることさえも本当は、自分の成長や幸福につながっていると信じられるようになることも大切です。
ネガティブな出来事も素晴らしい
落ち込んだり、嫌な気持ちになったりすることってありますよね。最近私も改めて体験したのですが、実はこのようなことはネガティブなサインではないのです。
後になってから、「むしろこちらが良かったんだ」と感じられるようになっている。自分に良いように現実が動いていると考えた方が自然なのです。
先日感じたのは、とある場所に行ったら気分が悪くなったんです。子供のころ住んでいたエリアで、懐かしい気分になるかななんてウキウキしながらその場所を訪れました。
行ってみると、どうも体の調子が良くないんです。それまで絶好調でしかもその場所に行ったのも楽しみにしていたことだったので意外でした。
実はこの時、一緒に何かできたらいいねと友人と一緒に行っていたのです。ただこの直後に友人がプライベートで変化が起こって、何か一緒にするということは実はできなかったということになったのです。
あのまま進んでいても楽しかったでしょうが、結局は一緒にやりたいことを一人でやることにになっていただろうと思います。うまく進められなかったのは、もしかしたら一時起こった体調不良のおかげということになるんですね。
その場どう感じるかよりも将来に着目
気分が悪くなったり、悲しいことが起こることはあります。
その感情の変化こそが人生の醍醐味なので、あえて悟って何も感じませんが最良とは思いません。ですが、状態が悪いということを継続することはないでしょう。
ネガティブになった時の瞬間の気分の悪さは味わい、それは時間が経てば絶対に良いことにつながっているのだと信じることが大切。不幸な自分を感じる前に、どんどん切り替えていく強さになっていきます。
これは、失恋に置き換えるとすごくわかりやすいです。
すごく好きだった彼氏にフラれてしまったという事実。これが起こったときには、急転直下。前触れがなかったとしたら、それは本当に落ち込むことでしょう。この時に気分が沈むのはしかたありませんよね。
でも、後になって間違いなく気付くことがあります。「あの時お別れできていなければ、今の人と一緒にいなかった」って。新しい彼氏ができたり、新しい友達に出会えたり。形は違っても、新しい体験ができるようになることが恩恵として得られます。
こんな風にその場のネガティブをすぐに人生の失敗のように考えずに、ゆったりと構えてみてください。
世の中は案外単純で優しくできていることに気付けると思います。