神社の拝殿に鏡が置いてある理由|太陽・自分・その他の説について

神社に参拝に慣れてくると、様々な神社の拝殿の中には、中心部分に鏡が置かれていることに気付くでしょう。

他にも、一般の方が見ることはできませんが、本殿の中に神霊のご神体として鏡が祀られていることもあるといいます。

ちなみに、このようなご神体となっている鏡のことを神鏡(しんきょう)と呼びます。神聖な鏡という意味。詳しくは以下ですが、神様が宿る鏡には神社の決まりごとがあることがわかります。

御霊代神鏡
神社や宮中では神鏡を御霊代とする事が多い。規定では「天神地祇並びに天皇はその鏡径を一尺、諸臣は七寸とし、裏面に神名を刻し、鈕に紅紐をかけ、錦の袋に入れ、柳箱に納め、この箱を入帷子に包み、唐櫃に納め、ここに覆いをかけるか、御衾で包む。なお、唐櫃を使用せず、神鏡を絹で包み、御樋代に、次に御船代に納め、御衾で覆うも可」としている。

引用:Wikipedia

他にも鏡と言うと神棚の中央に置かれていたりしますし、神道では神様へお祈りする時には鏡を非常に重要視していることがわかります。

今回は、神道において「鏡がなぜ中心におかれているのか」について、その理由をお話していきます。

鏡を置く理由はいろんな説がある

神社に鏡が置かれている理由には、実はさまざまなものがあります。

どれも間違いと言うわけではないので、いずれもそういう考え方もあるのかと参考にすると良いでしょう。

まずは良く知られたものから紹介していきましょう。

天照大御神さまとしてお祀りしている

神社の拝殿にある鏡をみると、お参りするときに光り輝いて見えます。これは日本神道で最上位として考えられている神様が「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」ためだといいます。

鏡が光って見えるのは、ちょうど反射した太陽の光を見ること。

つまり鏡を太陽そのものとして、手を合わせて感謝するという意味があるのです。

鏡は太陽を象徴するもの。これは、ご神体として神社に祀られている理由にもなりますね。

自分自身を見つめるようにという教え

他にも言霊という発生する時の音からの鏡を置く理由を考察するものも存在します。

かがみを言葉にしたときの音から考えてみましょう。

かがみは、「か・み」の間に「我(が)」という音が入っていますよね。

ここから神様をお祈りする時、そこに映るのは神様だけでなく、「我」をふくんでいるということ。つまり、鏡をのぞく「あなた」自信にも手を合わせているのですよという意味が込められていると考えます。

あなた自身も神様と同様に大切にしましょうということですね。

こちらの説もきっとその通りでしょう。ただ、これには続きがあると思うのです。その解釈が今回のメインとなる説となります。

本当の理由は世界の作りを表現できているから

皆さんは神様とは何かについて、考えたことはありますでしょうか。

神道では、神様は「八百万の神」であり、あらゆるものに神が宿ると考えられています。

現代の科学で証明されているものから考えてもこれは一致する内容なのです。すべての物質は分子、原子、あるいはさらに小さい素粒子でできています。

これらはすべてエネルギーであり、振動する同じものであると言うことがわかっているのです。つまり、すべてのものはエネルギーであるということ。

この目に見える物質、そして目には見えない気体や光、あるいは電波などもすべてエネルギーで出来ている。これを昔の方は神様と感じ取っていたということなのです。

現代の科学で証明されているこのような理屈は昔の方々は感じることはできても、証明する数式も観察技術も無かったわけです。すごい感受性ですよね。

すべては神様ということは

すべてのものが神様だということは、

あなたを含めたすべて神様である

ということです。鏡を通さない世界を見たとき、あなたは自分の顔や姿を見ることは出来ません。

それに対して鏡にうつる世界というのは、あなたを含む世界すべてが映っていることになります。

実はこの視点こそが神様から見た世界だったりするのです。この考え方は、仏教でいう空や哲学のワンネスなどの思想とも一致する視点なります。

このことから、鏡というのはこれ以上ない自分や世界を知るためのツールと言うことになります。神様として祀るのにこれほどふさわしいものはないですよね。

 

 

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