神仏習合の名残は、修験道の影響が色濃く残る山の中の神社だけに見られるものではありません。
町中の神社だけではなく、お寺にも残されています。
仏教が伝来して、神道と時間をかけて融合していき、神仏集合の状態になってから1000年以上もの間、日本では、神道の神さまと仏教の仏さまとは同じとして信仰されてきました。
その状態に終止符が打たれたのは、明治時代になってからのこと。
神道と仏教が異なるものとして分けられてから、まだわずか100年程度しかたっていないのです。
1000年以上の間に育まれた影響は、法律で分けられ、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の荒々しい波に襲われても、簡単には消し去ることができませんでした。
仏教の名残がある代表的な神社
現在も神仏習合の名残を感じられる神社を紹介していきます。
境内に五重塔がある神社
奈良市の法隆寺や薬師寺など、大きな古いお寺には五重塔があります。
五重塔とは、仏塔のこと。
仏塔とは、サンスクリット語ではストゥーパと言い、仏舎利(お釈迦さまのお骨のこと)を収める塔のことを呼びます。仏舎利を収める塔ですから、お寺の境内にあるのは当たり前。
ただ、神社の境内には神仏習合の影響で、五重塔が建てられた時代がありました。
残念なことに、廃仏毀釈によって明治時代に神社の境内にあった五重塔は、その多くが破壊されてしまいました。現代まで残された神社内に五重塔がある数少ない神社をお知らせします。
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)
日光東照宮は栃木県日光市にある神社。徳川家康の死後に、そのブレーンであった天海僧正によって、東照大権現として神格化された家康公が祀られています。
五重塔は1650年(慶安3年)に若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進し、のちに焼失したために1818年(文政元年)に子孫の若狭小浜藩主によって再建されました。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)
神仏習合の名残のある厳島神社は広島県廿日市市にあるお社。593年(推古天皇元年)に、土地の豪族が市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)を祀るお社として創建したのが始まりと言われています。
平安時代末期より平家一門から厚く信仰されるようになり、1168年(仁安3年)に平清盛によって、伊勢神宮を模して社殿が整えられました。現在の社殿は、焼失後の1240年〜43年頃に再建されたものです。
五重塔は、1533年(天文2年)に改修された記録が残っていることから、焼失後の再建時からあったのでしょう。内部に収められていた仏像は、明治時代に大願寺(だいがんじ)に移されています。
出羽三山神社(いではさんざんじんじゃ)
出羽三山神社は山形県鶴岡市にある神社です。
第32代崇峻天皇の御子・蜂子皇子が大和から出羽に逃れ、羽黒山、月山、湯殿山の神を祀ったのが出羽三山の信仰の始まり。
月山神社、出羽神社、湯殿山神社を総称して出羽三山神社と言います。
地域に根付いていた山岳信仰の月山、真言宗系の湯殿山、天台宗系の羽黒山と三種類の修験道が共存し、多くの修験者たちが現代も集っている信仰の場。
羽黒山にある五重塔は国宝に指定されており、平安時代に平将門によって建てられたと伝えられていますよ。
御神域内にお寺がある神社
神仏習合が当たり前だった頃には、大きな神社の隣や、境内の中にお寺が建てられました。
境内に建てられたお寺は、明治時代の廃仏毀釈の波にのまれて破壊されたものもありました。
しかし、現代でも仏像を安置するお堂として残されていたり、お寺そのものとして残されていたりするところもあります。
代表的なものをご紹介しますね。
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
熊野那智大社は和歌山県東牟婁郡にある神社です。
初代神武天皇が東征する際、那智の山に光を放つものを見つけ、那智の滝を探し当てて神さまとして祀ったのが始まりと言われています。
那智の滝をご神体とする熊野那智大社には、那智山青岸渡寺が隣接しており、参道を途中まで共有しています。もともとの御神域は那智の山そのものですから、那智大社の境内に青岸渡寺があるわけですね。
大鳥居をくぐれば熊野那智大社、仁王門をくぐれば那智山青岸渡寺に参拝できますよ。
浅草神社(あさくさじんじゃ)
浅草神社は東京都台東区にある有名な神社。東京の下町で行われる三社祭が特に有名で、第33代推古天皇の時代に創建されたと伝えられています。
観光客で賑わう浅草寺とは現在はお隣同士ですが、神仏分離令が明治時代に出されるまでは、浅草寺は浅草神社の境内の中にあったのですよ。
談山神社(だんざんじんじゃ)
奈良県桜井市に鎮座する談山神社。藤原氏の始祖・藤原鎌足を祭神として祀る神社ですが、もともとはお寺でした。
鎌足公の子で出家した定慧が、父の墓を摂津(現在の大阪)から大和に移し、その墓の上に十三重塔を建てたのが始まりとされています。
明治時代の神仏分離令で神社となりましたが、現代でも仏像を所蔵しているだけではなく、お寺だった頃の雰囲気を今でも強く残しています。
このように、神社の中には、見落としがちですが、仏教の気配が強く残されているのです。
一方、お寺の中にも鳥居が建てられ、お稲荷さん(宇迦之御魂神)が祀られていることもありますよ。特に、現在も修験道が行われている神社やお寺では、神仏習合の名残が色濃く残されているはず。
今度お近くの神社やお寺に参拝に行く時に、気をつけてみてみると良いでしょう。
神仏習合の名残を自分自身で体験する方法
神仏習合の名残を自分自身で体験してみるには、修験道の体験をしてみるのが一番良いかもしれません。
ただ、修験道の行者になるのは、とても大変そうですね。
しかし、1日、あるいは1泊2日、2泊3日などの短期間で、修験道の修行を体験することが可能です。
興味のある方は、一度参加してみてはいかがでしょうか?
神仏習合の名残を、自分自身で体験することができるでしょう。
長等山園城寺(三井寺)
滋賀県大津市にある園城寺。天台宗本山派の根本道場となります。体験では山伏の装束をまとって午前中は教学を学び、午後は比叡山を下山するという工程が経験できるようになっています。
犬鳴山七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)
大阪府泉佐野市にある犬鳴山七宝瀧寺。
七宝瀧寺は、真言宗犬鳴派(当山派とは異なる)のお寺で、修験道の根本道場です。毎月第3日曜日(12月〜2月の冬季は開催なし)に修験道の1日体験道場が開催されています。
出羽三山 山伏修行体験塾
山形県羽黒町の出羽三山でも山伏の体験(8月〜10月)が可能です。修験道といえば日本でもっとも有名かもしれない土地での体験は、きっとその後の人生へも影響してくれるでしょう。
日帰り、1泊2日、2泊3日から修行体験を選ぶことができるので、じっくり山伏を体験してみたい方に特にオススメです。
上記でご紹介した修験道の体験は、最長でも3日ですが、金峯山寺で行われている修験道体験には、6泊7日という過酷な修行体験もあります。
修験道の体験では、真言やお経を唱えるなど、神仏習合の名残を自分自身で体感できるようになっています。神社について詳しくなりたい方は、修験道の体験に一度チャレンジしてみるとその歴史や考え方について学ぶことができるでしょう。
まとめ
日本では1000年以上、神仏習合が続いてきました。
明治時代に神仏分離令が出されるまでは、お坊さんが神社でお経をあげ、神主さんがお寺で祝詞をあげることが、日常だったのです。
明治時代の分離から100年ちょっとしかたっていませんから、神社にもお寺にも、神仏習合の名残は残されています。
神社やお寺に行く時は、ご自分で神仏習合の名残を探しながら参拝すると楽しいですよ。