上野国総社神社(群馬県前橋市)ご利益が得られる群馬県有数のパワースポット

上野国総社神社とは

群馬県前橋市に鎮座する上野国総社神社こうずけのくにそうじゃじんじゃ。上野国(現在の群馬県)の総社で、多くの神さまが祀られています。

第10代崇神天皇すうじんてんのうの御子・豊城入彦命とよきいりひこのみことが創建したのが始まりと伝わる古いお社。豊城入彦命が最初に祀った神さまは、香取さまの愛称で知られる経津主命です。

上野国総社神社は勝負運を上げたい方だけではなく、多くの神さまからのご利益をいただける神社として是非群馬県へ行かれる方は参拝して欲しい神社になります。

上野国総社神社の歴史

上野国総社神社の始まりは、第10代崇神天皇の御代だったと伝えられています。

崇神天皇の御子で、東国を治めたと伝えられている豊城入彦命が創建したのだとか。

父である崇神天皇は、もうひとりの御子・活目命いくめのみこと豊城入彦命とよきいりひこのみことのどちらに跡を継がせるべきか迷っていました。

兄弟がどんな夢を見たかによって、跡取りを決めることにした崇神天皇。活目命が雀を追い払う夢を、豊城入彦命が東を向いて武器を使う夢を見たことを聞き、活目命が農業の発展を考えていると悟って、跡を継がせます。

一方、東を向いて武器を使った夢を見た豊城入彦命には、東国を治めさせることにしました。

こうして、東国に下った豊城入彦命は、上野国に至り、軍神の経津主命を祀るお社を建立。そのお社が、上野国総社神社の始まりだと言われています。

その後、第27代安閑天皇あんかんてんのうの御代に、社殿が改築され、738年(天平10年)に上野国の549社の神社が合祀されました。

それ以来、「総社明神そうじゃみょうじん」と呼ばれるようになったのだとか。

戦国時代の1566年(永禄9年)に戦火で社殿が焼失しましたが、1570年〜73年(元亀年間)に再建されました。

焼失から再建までの年月が短いことから、上野国総社神社が地域の人たちから大切にされ、愛されてきたことが伺えますね。

総社神社(そうじゃじんじゃ)とは?

総社神社とは、特定の地域で、別々のお社に祀られていた神さまを、まとめて祀った神社のこと。

神さまをまとめて祀ることを、「合祀ごうし」と呼びます。

では、なぜ神さまを1カ所に祀る必要があったのでしょうか?

日本では、7世紀頃(飛鳥時代後期)から10世紀頃(平安時代中期)まで、律令制が行われていました。

律令に基づいて、都の置かれた奈良や京都から、地方の国に行政を行う役人が派遣されたのです。

派遣された役人たちが、任地に赴任後に真っ先に行わなければならなかったこと、それが神様へのご挨拶だったのです。

赴任した国に祀られている神さまに、順番に回ってご挨拶することが大切だったのですがこれがやはり大変。

赴任地がそれほど広くない国であれば、神さまにご挨拶することはそれほど負担ではなかったかもしれません。

しかし、相模国さがみのくに(現在の神奈川県)や武蔵国むさしのくに(現在の東京都と埼玉県)など、赴任地のときは時間がかかり過ぎてしまいます。そのため、平安時代になると、国府とよばれる今で言うところの県庁所在地に、総社を設けて参拝することが制度として定められました。

国史たちの参拝による巡回の負担を、軽減したのです。1箇所で国の神様にご挨拶できる方法として総社は誕生したのです。

上野国総社神社の御祭神とご利益

上野国総社神社の主祭神は以下の五柱となっています。

経津主命(フツヌシノミコト)
磐筒男命(イワツツノオノミコト)
磐筒女命(イワツツノメノミコト)
宇迦御魂命(ウカノミタマノミコト)
素戔嗚命(スサノオノミコト)

ご利益について

素戔嗚命は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟で、疫病を払う神さま。

磐筒男命と磐筒女命は、伊弉冉尊(イザナギノミコト)が迦具土神(カグツチノカミ)を討ったときに生まれた神々で、経津主命の両親ともされる神様です。

宇迦御魂命は、お稲荷さんとしても知られている穀物の神様、五穀豊穣や商売繁盛などのご利益。

経津主命(フツヌシノミコト)は、香取さまと呼ばれる軍神です。

相殿神には、赤城神社や伊香保神社、榛名神社の神さまなど、上野国の鎮守十社が祀られており、さらに549のお社の神さまが祀られています。群馬県のほとんどのお社の神さまが祀られていますから、ありとあらゆるご利益をいただくことが可能。凄いパワースポットですよね。

山の上にある榛名神社や赤城神社にお参りする時間がない時などは、古代の国司たちのように、上野国総社神社でお参りするのも良いと思います。

上野国総社神社の見どころ

拝殿は1843年(天保14年)の再建ですが、前橋市の指定重要文化財です。

本殿

上野国総社神社のご本殿も、慶長年間(戦国時代末期〜江戸時代)の建築。

安土桃山時代の建築様式で建てられていて、群馬県の指定重要文化財に指定されています。

拝殿とともに見応えのある建築物ですから、拝観したらじっくりと見学させてもらいましょう。

ご神木

境内のほぼ中心には、大きなケヤキの御神木が。

天に向かって手を広げたようなケヤキは、大変なパワーを持つと言われています。参拝したら、ぜひパワーを感じてみましょう。

今回私は日が異なっていましたが、毎月第一日曜日には骨董市が開かれているそう。骨董市に合わせて参拝するのもにぎやかで楽しそうですね。

願掛けきつね

本殿裏にはお稲荷さんがいて、願掛けきつねができるようになっていました。

末社:九十九社

御祭神:二十二社(勅祭社)、全国一ノ宮主祭神

祀られている神様の数が多い。しかも勅祭社と一ノ宮の神様が合わせて祀られているのは非常に珍しいです。本殿の脇にあるので是非参拝していきましょう。

神楽殿

手水舎

上野国総社神社へのアクセス

公共交通機関を利用する場合

JR東日本上越線新前橋駅下車、徒歩約25分、あるいはバス新前橋西口線乗車10分、バス停総社神社南下車徒歩3分、もしくはタクシー利用で約10分

車を利用する場合

関越自動車道前橋インター下車、国道17号経由、約10分

まとめ

群馬県前橋市に鎮座する上野国総社神社(こうずけのくにそうじゃじんじゃ)。

第10代崇神天皇(すうじんてんのう)の御子によって創建されたと伝えられています。

日本に律令制が行われていた時代に、国中の神さまが合祀され、上野国の総社となりました。

群馬県中の神さまが1カ所にまとめて祀られている上野国総社神社は、ありとあらゆる祈願に対応できる懐の広いお社。

県内の他のお社に参拝したいけれど時間の余裕がないときには、上野国総社神社をお参りすると良いですよ。

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