前橋東照宮(群馬県前橋市)徳川家康が神様となって安産のご利益がある神社

前橋東照宮とは

群馬県前橋市に鎮座する前橋東照宮まえばしとうしょうぐう

東照宮ということで、徳川家康を主祭神として祀られており、その他にも三柱の神さまが祀られています。

徳川家康以外の三柱の神さまの中で、もっとも有名な神さまのご利益は安産祈願となっています。家康公に勝運を上げてほしい方だけではなく、安産を願う方に参拝をおすすめしたい神社です。

前橋東照宮の歴史は?

1600年(慶長5年)の関ケ原の戦いから24年後の1624年(寛永元年)、前橋東照宮は創建されました。

創建したのは、徳川家康とくがわいえやす公の孫である、松平直基まつだいらなおもと。家康公の次男・結城秀康ゆうきひでやす公の五男です。

ただし、初めに創建された場所は現在の群馬県である上野国こうずけのくにではなく、越前国えちぜんのくに(現在の福井県)の勝山城でした。

前橋東照宮は越前で創建されたあと、越前松平家えちぜんまつだいらけの転封(藩主の領地を別の場所に移転させること)に伴い、姫路→前橋→川越と数回もの遷座を経験した神社なのです。

幕末の1867年(慶応3年)に、越前松平家から分かれた前橋松平家が川越から前橋に復帰を果たします。しかし幕末の混乱の影響のため、1871年(明治4年)にようやく前橋東照宮は現在地に再建されました。

現在の社殿は、川越に祀られていた頃の社殿を移築したものですよ。

結城秀康と越前松平家って?

越前松平家は、結城秀康を家の始まりとした徳川家の一族のひとつです。

家祖の結城秀康公は、1574年(天正2年)に遠江国とおとうみのくにで生まれました。

双子で生まれたと言われていますが、秀康公の弟は生まれた直後に亡くなったと伝えられています。

ですが、弟は亡くなったことにされて母親の実家に預けられ、愛知県の知立神社ちりゅうじんじゃの神主になったとも言われています。以前は、双子は畜生腹と言われて忌み嫌われていたため、父親である家康公から疎まれて育ったと言われています。

1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いの後には、豊臣秀吉との和睦のため、豊臣家に養子に出されましたが、秀吉公に実子が誕生したため、他家に出されることに。

その後、家康公の関東転封に伴い、結城氏の婿養子となり、結城秀康と名乗るようになったのです。

1600年(慶長5年)の関ケ原の戦いの戦功で、秀康公は越前に加増転封されました。

その後、松平を名乗ることを許されたのですが、1607年(慶長12年)に秀康公は越前で病気のため、34歳の若さで亡くなります。

秀康公は若くして亡くなりましたが、何人もの男子に恵まれました。

そのため、越前松平家は本家だけではなく、津山(岡山県)、松江(島根県)、明石(兵庫県)など多くの分家を生んだのです。

そのうちのひとつが、前橋松平家なのです。

転封が多かった前橋松平家には、「引っ越し大名」というあだ名がついています。

前橋松平家の引っ越しは、作家の土橋章宏どばしあきひろさんが小説として出版し、2019年には、その小説を原作とした映画も製作されました。

ちなみに、引っ越し大名の松平直矩まつだいらなおのりは、俳優の及川光博さんが、引っ越しに振り回される主役の武士を星野さんが演じています。小説も映画もとても面白いので、未見の方は前橋東照宮に参拝する前にぜひ。

前橋東照宮の御祭神

主祭神:徳川家康(とくがわいえやす)

木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、菅原道真(すがわらのみちざね)、長壁姫おさかべひめ

ご利益は?

前橋東照宮の主祭神は、徳川家康となります。

天海僧正てんかいそうじょうによって東照大権現とうしょうだいごんげんとして神格化された家康公のご利益は、出世開運や商売繁盛です。

木花咲耶姫命のご利益

木花咲耶姫命は、山の神さまである大山祇神(オオヤマツミノカミ)の娘。天孫降臨で葦原中津国あしはらのなかつくにに降り立った瓊々杵命(ニニギノミコト)から求婚された、非常に美しい女神で、主なご利益は、火や山の災難除けです。

菅原道真のご利益

菅原道真すがわらのみちざねは、平安時代の政治家・学者で、天神さまとしておなじみの神様。天神様のご利益は、おなじみの合格祈願や学業成就となっています。

長壁姫のご利益

長壁姫のご利益は、縁結びや安産であるとして親しまれている神様。

長壁姫は、もともとは姫路城の天守閣に住み、代々の姫路城の城主に年に一度予言を伝えていた謎の神さまでちょっとした伝承があります。

前橋松平家が姫路から前橋に転封になった際の松平朝矩まつだいらとものりは、長壁姫おさかべひめを奉る長壁神社を前橋城の裏鬼門に建てました。

ところが、姫路からの移転後に、前橋城が水害に襲われ、前橋松平家は川越に移ることになったのです。

移転が決まった直後、朝矩公の夢に長壁姫が現れて、自分も川越に移すようにと言います。しかし、水害を防げなかったことを理由に朝矩公はこの申し出を拒絶したのです。

その後、朝矩公が数え31歳の若さで亡くなったのは、長壁姫のためとも言われているそう。

前橋東照宮の境内の見どころ

前橋東照宮は、前橋城の二の丸と三の丸の跡地を利用して作られた、楽歩堂前橋公園の中にあります。

前橋公園は桜の名所としても知られているので、桜の季節の参拝がおすすめ。

拝殿

手水舎

前橋東照宮の鳥居をくぐって境内に足を踏み入れると、手水舎があります。

この手水舎は実はハイテクなのです。

柄杓がなく、手を差し出すとセンサーで水が流れてきますよ。時代ですかね、私はどうしても柄杓派ですけど経験として面白かったです。

 

本殿にお参りしたら、脇にあるはらい川では、人形や車型に厄を移して穢れを流しましょう。

社務所がカッコいい

参拝を済ませたら、社務所へ。

社務所は鉄筋コンクリート建築で、内部はちょっとしたミュージアム仕様になっています。

秀康公が所有していた、天下三名槍てんかさんめいそうのひとつ「御手杵おてぎね」のレプリカも飾られていますよ。

また、館内では家康公の生涯を描いたアニメが上映されていますから、興味のある方はぜひ。

厩橋護国神社

駐車場の奥に護国神社もありました。公園へつながる出口になっているので、前を通ることがあればご挨拶すると良いでしょう。

前橋東照宮へのアクセス

・公共交通機関を利用する場合

JR東日本前橋駅下車、北口バスターミナル1番乗り場より前橋公園方面バス乗車約10分、バス停前橋公園前下車、徒歩3分 もしくは前橋駅よりタクシー利用で約10分

・車を利用する場合

観閲自動車道前橋インター下車、国道17号経由、約10分

まとめ

群馬県前橋市に鎮座する前橋東照宮。

徳川家康の孫によって、越前国で創建されました。

越前松平家は、多くの分家を生みましたが、そのひとつの前橋松平家によって、前橋東照宮は藩の転封に伴い、移転を重ねます。

幕末になってようやく前橋に復帰し、明治になってから再建という歴史を持つ神社。

それ以来、地元の方たちに愛され続けたお社です。

前橋城の遺構を利用して作られた前橋公園の中にある前橋東照宮。春には美しい桜が、前橋東照宮の周りで咲き誇りますよ。

暖かな桜の季節に、ぜひお参りしてくださいね。

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