妙義神社(群馬県富岡市)は星の名前になった唯一の神社

妙義神社とは?

群馬県富岡市の妙義山のふもとに鎮座する妙義神社。

1400年以上もの長い歴史をもつ山岳信仰の神社で、大河ドラマのロケ地としても知られます。

山中のあちこちに奇岩がある妙義山は、現在でも登山者に人気があります。登山道には境内から入ることができますが、岩場が多い上級者向けのコースなのだとか。

険しい山の気で浄化されたい時にお参りするのにぴったり。それが妙義神社だといえます。

妙義神社の御祭神は?

妙義神社の御祭神は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、豊受大神(トヨウケノオオカミ)、菅原道真公(すがわらのみちざねこう)、権大納言長親卿(ごんのだいなごんながちかきょう)の4柱。

  • 日本武尊(ヤマトタケルノミコト):第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる人物として有名な神様。
  • 豊受大神(トヨウケノオオカミ):三重県伊勢市の伊勢神宮の外宮に祀られている神様。名前の「ウケ」とは食べ物を意味する言葉で、トヨウケはたくさんの食べ物という意味です。
  • 菅原道真公(すがわらのみちざねこう):平安時代の公卿で、学問の神様・天神さまとして知られ、東京の湯島天満宮、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮の御祭神として有名ですね。
  • 権大納言長親卿(ごんのだいなごんながちかきょう):南北朝時代に第96代後醍醐天皇に使えた公卿。

 

神様と人が一緒に祀られているのは何だか不思議な感じがしますよね。亡くなった人を神として祀ることを、人神ひとがみと言います。妙義神社には、神話の時代からの2柱の神様と、平安時代以降に歴史上に名を残した2名の人物が人神として祀られているのです。

天神さまは全国各地に祀られているからご存知の方も多いでしょう。しかし、権大納言長親卿をご存知の方は、多くはないのではないかと思います。なぜ、妙義神社に祀られているか歴史のお話をしていきましょう。

妙義神社の歴史と神話

妙義神社は、宣化天皇2年(537年)に創建されました。

妙義山はむかし、波己曽はこそ山と呼ばれ、妙義神社も創建当時は波己曽大神と呼ばれていました。この時の御祭神は波己曽山の神である波己曽大神が祀られていたのです。その名残から今でも波己曽大神は、境内にある波己曽社で今も大切に祀られているのです。

権大納言長親卿について

また、波己曽山と呼ばれた山が、妙義山と呼ばれるようになったことには権大納言長親卿ごんのだいなごんながちかきょうが関係しているのです。

後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿は、現在の妙義神社の場所に住んでいたといいます。そして、奇岩の多い波己曽山の景色を「明々巍々めいめいぎぎなる山」として「明巍=めいぎ」と名付けたと言われています。明巍(めいぎ)がのちに「妙義(みょうぎ)」に変化し、現在の名前になったのだとか。

山と神社の名前の名付け親として、権大納言長親卿は人神として祀られたのですね。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の神話

妙義神社だけではなく、全国各地の神社に祀られている日本武尊。日本武尊が全国各地の神社に祀られるようになったのは、ある悲しい神話に関係があります。

景行天皇には、皇后との間に双子の息子がいました。兄を大碓命(オオウスノミコト)、弟を小碓命(オウスノミコト)と言い、その弟が日本武尊です。

ある日景行天皇は、大碓命(オオウスノミコト)の生活態度を注意するよう、日本武尊に伝えました。

ところが、日本武尊は父の言葉を勘違いし、兄を死なせてしまったのです。景行天皇は日本武尊を恐れるようになり、自分から遠ざけるために九州の熊襲(くまそ)を平定するように命じました。

首尾よく熊襲を平定し、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は大和に帰還します。ところが我が子を恐れる景行天皇は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を遠ざけるため、さらに東国平定を命じたのです。

「父上は私に死ねと仰っているのか」と、日本武尊は伊勢神宮の斎宮である叔母・倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に嘆きました。甥を哀れんだ倭比売命(ヤマトヒメノミコト)は伊勢神宮にあった草薙剣(クサナギノツルギ)を日本武尊に渡し、東国平定が成功するように祈ります。

叔母から渡された草薙剣の加護もあり、日本武尊は東国を平定し、尾張で美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚します。しかし、伊吹山(岐阜県と滋賀県の県境)の神を倒すために出発した時、美夜受比売(ミヤズヒメ)に草薙剣を預けたままにしてしまいました。

加護の刀を持たなかった日本武尊は、伊吹山の神が降らせた氷雨に濡れて病気になり、大和に戻る途中、現在の三重県亀山市あたりで亡くなってしまったのです。その後、日本武尊は白鳥となり大和を目指して飛び立ったといいます。

実の父に疎まれて大和を追い出され、九州と東国を平定した日本武尊は、こうして全国各地に伝承を残して祀られることになりました。妙義神社の御祭神として祀られたのは、東国平定の時に日本武尊が妙義山に登ったことに由来します。

夫に先立たれた美夜受比売(ミヤズヒメ)は、日本武尊を偲んで熱田神宮を創建し、草薙剣を納めました。

三種の神器のひとつでる草薙剣は、今も熱田神宮の御神体として大切に祀られているのです。

妙義神社のご利益

火伏せ、開運

妙義神社の見どころとパワースポット

妙義神社の鳥居をくぐり、長い坂道の参道を登ると、前方に階段があります。そのあたりから、御神域のパワーが強くなってきます。

階段を登りしばらく進むと、1774年(安永2年)に建てられた、重要文化財である立派な総門が見えてきます。

波己曽社

この総門や社務所のあるあたりは、妙義神社が神仏習合だった頃にお寺だった地域。元々の御祭神が祀られた波己曽社が、1969年(昭和44年)にこの地域に移築されています。

2007年(平成19年)の台風で本殿周辺が土砂崩れで立ち入り禁止になった時には、ご祈祷を波己曽社で行ったほど重要なお社ですから、お参りは忘れずに。

このお社からのぼり階段がきつい方には杖が置かれていますので使ってみてください。このあたりで拾った枝が使われており、力強い手助けをしてくれるでしょう。

御神木

波己曽社のそばにある銅鳥居の脇にそびえる樹齢500年にもなる3本の杉は、御神木ではなかったのですが今ではパワースポットとして有名になっています。

実はこのパワースポットは参拝客が宮司さんより早く気付いたようです。神職の方がその後、囲まれた三角形の中心に本殿にまっすぐ向いた平らな石が置かれているのを見つけ、本殿を遥拝する神聖な場所だったのだと気づきいまの状態になっています。

今では三角形の中には立ち入ることはできませんが、今では宮司さん公認のパワースポットになった3本の杉から妙義神社のパワーをいただきましょう。

随身門

参道には165段もある石階段。そこを登った先あるのが随身門。

 

本殿

本殿、総門、随身門、唐門と、すべてが国や県指定の重要文化財で、きらびやかなその姿はまるで日光東照宮のようです。

金色の龍の彫刻も非常に立体感が合って美しいです。また、本殿周辺から見渡す景色もすばらしいものがあります。

本殿の裏の天狗さん

影向岩

本殿の右手にある、北門に食い込むような岩が影向岩。

影向岩は妙義神社の御神体で、波己曽社が祀られていた元の場所ですから、ここもお参りを忘れずに。

手水舎

水神社

愛宕社

和歌三神之社

奥の院

妙義神社には、神仏習合の名残で奥の院があります。ただし、険しい山道の先にありますから、登山経験のない方は決して登らないでください。

代わりに奥の院がある辺りに掲げられている、大きな白い「大」の字を遥拝するのをおすすめします。

妙技神社が星の名前になっている

妙義神社は、実は星の名前になっています。

2014年10月、アマチュア天文家・渡辺和郎氏が発見した小惑星の名前が「Myogizinzya」として国際天文学連合発行「小惑星回報(MPC)」に正式登録されました。神社名が星の名前として登録されたのは世界で初めてだそうですよ。

妙義神社へのアクセス

・公共交通機関を利用する場合
JR東日本松井田駅よりタクシー10分、もしくは磯部駅タクシー15分

・車を利用する場合
関越自動車道・上信越自動車道松井田IC、妙義ICより5分
*駐車場は妙義神社近くの道の駅みょうぎの無料駐車場を利用してください

神社概要
名前:王子神社

社格:旧県社

住所:群馬県富岡市妙義町妙義6

電話番号:0274-73-2119

駐車場:あり(道の駅みょうぎ)

公式HP:http://www.myougi.jp/

地図

 

まとめ

長い歴史を持ち、星の名前にもなったパワースポットである妙義神社。大河ドラマのロケ地にもなりました。

きつい上り坂と階段の先にある境内には、日光東照宮のようにきらびやかで、国や県の重要文化財に指定された門や本殿が佇んでいます。

険しい山に祀られた神社の神聖な気を分けて頂きに、お参りに行ってはいかがでしょう?

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