静岡浅間神社とは?
静岡県静岡市に鎮座する静岡浅間神社。
ひとつの神社ではなく、神部神社・浅間神社・大蔵御祖神神社の3つの神社の総称で、「おせんげんさん」として親しまれています。
ここで元服(成人すること)した徳川家康から、厚く信仰されました。また、代々の徳川将軍の祈願所としても大切にされてきたのです。
静岡県内では知らない人はいないというパワースポットになります。
静岡浅間神社は神様が多い
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称。全部で7社だけと思われるかもしれないが、実は40社もの神社が存在するという神様のデパートのような存在なのです。
神様の数を数えると、配祀神も含めて56もの神様が祀られているらしいのです(神社調べ)。
静岡市の真ん中にあることもあり、静岡県民のなかでは「せんげんさん」と呼ばれて親しまれています。
静岡浅間神社の歴史について
延喜元年(901年)に朝廷が浅間神社を勧請したように、朝廷から信仰された静岡浅間神社は、鎌倉時代には将軍家からも信仰されました。
戦国時代には、駿府を治めた今川氏、尾張を治めた織田氏、甲斐を治めた武田氏など数多くの武将から厚く信仰されたのです。
静岡浅間神社には、これら武将にまつわる古文書が今も数多く残されています。
中でも今川氏の人質として、子供の頃に駿府で暮らした徳川家康は、静岡浅間神社の近くにある今川市の菩提寺・臨済寺に預けられていたこともあり、一生涯厚く信仰を続けました。
また、家康にとって、静岡浅間神社は元服(成人すること)した大切な場所でもあったのです。
家康が深く信仰し、元服した神社として、静岡浅間神社は歴代の徳川将軍の祈願所となり、手厚く保護され続けました。
神社の見所とパワースポット
徳川幕府から厚く信仰されてきた静岡浅間神社。
その建物の多くは、江戸時代の文化年間(1804年〜1818 年)に建てられた豪勢なものです。
神部神社と浅間神社の本殿は、浅間造りと呼ばれる建築様式の代表的なもので、高さが25メートルもある大拝殿。
また楼門も文化年間に建てられた豪勢な門で、見事な彫刻を見ることができます。
文政年間(1818年〜1831年)に建てられた大歳御祖神社の本殿は、神部神社と浅間神社の本殿に比べるとこじんまりしていますが、重要文化財に指定された立派な建物。
大歳御祖神社には天保年間(1831年〜1845年)に建てられた拝殿と楼門があったのですが、残念なことに太平洋戦争の空襲で消失しました。現在のものは鉄筋コンクリートで再建されたものです。
神部神社(かんべじんじゃ)
主祭神:大己貴命 (おおなむちのみこと)
配祀神:瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)、徳川家康公
静岡浅間神社の3つの神社のうち、もっとも歴史が古いのは、駿河国の総社である神部神社。
神部神社は、第10代崇神天皇の御世(約2100年前)に、駿河開拓の御祖神(みおやがみ)として大己貴命(オオムナチノミコト)が祀られて創建されたと言われています。
大己貴命(オオムナチノミコト)は、大国主神(オオクニヌシノミコト)という名前でも知られている神様で、天孫降臨以前から日本にいた国津神(くにつかみ)の1柱。
島根県の出雲大社の御祭神として有名な神様です。
大国主神は『古事記』によれば、須佐之男命(スサノオノミコト)の6世の孫。
大国主神は高天原と黄泉の国の間にあった葦原中国(あしはらなかつくに)を完成させました。
ある日、天照大御神に国譲りを依頼され、両者は初め争います。しかし、話し合いで大国主神があの世である幽冥界の主となることになり、その交換条件として出雲大社の修復を天津神が約束したのです。
こうして、国津神として国作りを行った大国主神(オオクニヌシノミコト)は、あの世の主となりました。『古事記』によれば、大己貴命(オオムナチノミコト)は大国主神の子供の頃の名前だそうです。
浅間神社(あさまじんじゃ)
主祭神:木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)
配祀神:瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)
浅間神社は、第60代醍醐天皇の御世の延喜元年(901年)に、駿河国一宮である富士山本宮浅間神社から勧請されました。全国各地にある富士山を信仰する神社のひとつです。
木之花咲耶姫命は、非常に美しい女性だったと言われています。天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫・瓊瓊杵命は、天から降ってきました。
地上で木之花咲耶姫命を見初めた瓊瓊杵命は求婚し、許されます。
ところが、木之花咲耶姫命だけではなく、醜い姉・磐長姫命も一緒に輿入れしてきたのです。瓊瓊杵命は磐長姫命を父・大山津見神(オオヤマツミカミ)の元に送り返し、木之花咲耶姫命だけを妻にしました。
大山津見神は、瓊瓊杵命のこの仕打ちに激怒。
対照的な姉妹を2人同時に輿入れさせたのは、瓊瓊杵命が磐長姫命を妻にすることでその命が岩のように固く、永遠のものとなり、木之花咲耶姫命を妻にすることで木の花が咲くように繁栄することを祈願していたからでした。
ところが磐長姫命を送り返してしまったので、瓊瓊杵命の命は花のようにはかなくなってしまうというのです。
こうして地上に降り立った神の子孫である天皇の寿命は、瓊瓊杵命(ニニギノミコト)以来短くなったのだと『古事記』には伝えられています。
大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)
主祭神:大歳御祖命(おおとしみおやのかみ)
配祀神:雷神
大歳御祖神社は、第15代応神天皇(約1500年前)の御世に安倍川の河原で行われていた安倍の市(古代の市場)の守り神として鎮座しました。大山津見神を父親に持つ神様を主祭神に祀る神社。神大市比売(カミオオイチヒメ)とも呼ばれる神様。
素戔嗚命(スサノオノミコト)の妻となり、大年神(オオトシガミ)と宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)の2柱を産みました。
毎年お正月に年神様をお迎えする準備を色々と皆さんのご家庭でもなさるでしょう?
大年神(オオトシガミ)は、そのお迎えする年神様のことです。
宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)という名前はあまり馴染みがないかもしれませんが、とても馴染み深い神様ですよ。
稲荷神社に祀られている神様が、宇迦之御魂神。稲荷神社の狐は、神様のお使いなのです。
麓山神社(はやまじんじゃ)
主祭神:大山祇命(おおやまづみのみこと)
配祀神:日本武尊(やまとたけるのみこと)
玉鉾神社
少彦名神社
八千戈神社
手水舎
七社参りの御朱印札集めが面白い
静岡浅間神社の境内には、上記3つの神社の他に、八千戈神社、少彦名神社、玉鉾神社、麓山神社の4つの摂社があります。
この7つの神社を巡って御朱印を集めるのが7社巡り。
社務所でいただく御朱印札に各社のスタンプを押していくというスタイルで、スタンプラリーのような感じです。
7つの神社にはそれぞれにご利益があり、ほとんどの御利益があるため、ないものを探すのがむずかしいほど。
そのため、静岡浅間神社は静岡県のパワースポットと呼ばれているのです。
ただ、境内がとても広いので、7社巡りをする場合は、各社の位置関係を把握して効率よく回ってくださいね。
静岡浅間神社周辺の見どころと名物
静岡浅間神社の大歳御祖神社の裏手に賤機山古墳があります。
6世紀に作られたと考えられている賤機山墳で、横穴式円墳。
1949年(昭和24年)の発掘調査では、過去に盗掘を受けていたことが判明しましたが、金銅製の官帽の金具や馬具などが発見されたことから、駿河地方を治めていた豪族の墓と考えられています。
石室内部には入れませんが、中の様子を覗くことができますよ。
日本100名城のひとつ、駿府城
また、静岡浅間神社から徒歩20分の距離に、駿府城公園があります。
本能寺の変後、徳川家康が居城とした駿府城は、江戸幕府を開いたのち、秀忠に将軍職を譲った家康が移り住み、1616年(元和2年)に亡くなった場所でもありました。
家康と関わりの深い静岡浅間神社に参拝したあとに、居城だった駿府城公園に寄ってみるのはいかがでしょう?
郷土料理・ご当地グルメ
静岡県中部の名物食材というと、由比の桜えびや用宗漁港のしらす、丸子のとろろなどたくさんあげることができます。
旬の時季は、これらの食材を使った料理を楽しむと良いです。
洋食でしたら静岡県外に進出しない、炭焼きレストランさわやかがおすすめ。さわやかのげんこつハンバーグは県外からも人が来るという人気のお店。
多くの店舗がありますが、静岡駅前に新静岡セノバ店がありますので、ぜひ寄ってくださいね。
静岡浅間神社へのアクセス
・公共交通機関を利用する場合
JR東海・東海道新幹線、東海道線静岡駅下車、しずてつジャストラインバス安倍線か美和大谷線
でバス停「赤鳥居浅間神社入口」下車、約12分
・車を利用する場合
東名高速道路新静岡IC下車、国道1号方面に進み、県道74号直進後新東名入口交差点を右折し県道27号に入り直進、片羽町交差点左折、約17分。
まとめ
静岡県静岡市に鎮座する、静岡浅間神社。
神部神社、浅間神社、大蔵御祖神神社の3つの神社の総称です。
境内には3つの神社の他に4つの摂社があり、それら7つの神社をめぐる7社巡りは、ない御利益を探すのが難しいほど。
徳川家康が信仰したことで、代々の将軍の祈願所となっていました。
パワースポットにお参りして、歴史に想いをはせるのはいかがでしょうか?