誰しも自分がいい人であろうとするのは、人間として普通のことなのかもしれないと感じています。
近くの大好きな人のため、自分のため、世界の平和のため。
理由や対象とするものが色々ありますが、多くの方の行動の原動力は優しさであるように見えますよね。
極論になってしまいますが犯罪に手をつけてしまう人でさえ、何かを守るため、多くの場合には自分に対して「快」という感情を与えるためであることが多いでしょう。自分に優しくあろうとする方向がやや一般の人よりも過激であるので、世の中的にはやめましょうということをやってしまうのですね。迷惑する人にまで心が及ばなければ、そのようになってしまうことも想像できなくはないです。
周りの人を見て嫌な気分になったら
ただ、他人の行動をみて理解できない事ってありますよね。
それこそ、人のことをだましたり、嫌な気持ちにさせている人を見ると不快な気分が出てくるでしょう。特に自分で真面目を意識できているいる人は、どうしてこんなに細かいことが気になるのかと思うほどにあらゆるものに問題を見つけていると思います。
このような不快な感情が発生してきますが、その原因を考えてみると、それは人生経験の中で生まれた「常識」によるものなのです。
常識とは、固定観念とも言えます。
昔から家で親御さんに教えられてきたことかもしれませんし、学校や職場という環境で培ってきたものかもしれません。あるいは、全く自分の生活とは本来接点のない、テレビの中の人が言っていることだったりもしますね。
常識って何者?
他人に対して、もっとこうするのが普通でしょうと「常識がないなぁ」と嫌な気持ちになったとしたら、その常識をちょっと疑ってみると良いと思います。
常識というのは、経験から生まれてはいるのですが、よくよく観察してみるときっかけは他人の意見であることが多いためです。
人は国が違えば文化が違うということは理解できていても、同じ地域や組織に入っているとどうしても考え方も同じであるのが普通と思ってしまう傾向があるためです。
- あいさつしたのに返事がない
- 待ち合わせ時間の5分前に到着する
- お正月にはお墓参りに行く
例えば、こんな小さなことでさえお隣にいる方にとっては、経験したことのない文化である事もあり得る話と考えてみるのです。
そろそろ、寒さを感じる季節になってきました。私の住む新潟県では、この季節になると菊の花を食べるんです。
甘酢だったり、だし醤油だったりで和え物にすることが多いスーパーでも売られる一般的な食材。でもきっと他の地域に住んでいる方からすると、花って食べものじゃないでしょうとビックリするのではないでしょうか。
新潟の当たり前は、関東の非常識。
そんなことは、頻繁に起こる事ですよね。それと同じように、近所に住んでいる人でも職場の嫌な人でも、実は生まれ育った環境が違うのだから文化が違うと思えると、他人に対して抱く不快な感情が減ってくるのだと思います。
人生から不快を少なくしていけば、自然と豊かになっていきます。
不平や不満というのは、結局自分の思考が生み出しているものだと気付くことが、生活を豊かにする第一歩ですよ。
いつも他人を信用できない方やどうしても外に出ると疲れるという方は、この考え方をとりいれてみてください。