貫前神社とは
群馬県にある上野国一ノ宮である「貫前神社」。読み方が分かりにくいかもしれませんが「ぬきさき神社」と読みます。
貫前神社は古くから朝廷に崇拝されてきた歴史ある神社です。中世以降になると武家からも篤い信仰をうけて、広く心のよりどころになってきました。
境内は社殿が鳥居よりも低い位置にある「下り宮」のある珍しい構造を持つ神社としてもしられます。
総門をくぐってから石の階段を下っていくのです。その先には細かい彫刻がなされた漆塗りの社殿があり、あたたかくもずっしりと迫力のある空気感がります。雰囲気は春日大社に似ていると感じました。
祀られている神さまは、軍神であり、勝運を上げてくださる神様。
何かに勝つために、災いを払い、勝負運を上げたい方に参拝をおすすめしたい神社。それが、貫前神社です。
貫前神社の歴史
古代からの特殊な神事が残り、戦国時代から12年に一度の式年遷宮が行われている貫前神社。
とても長い歴史を持っていそうな神社ですが、その創建の由来はどのようなものだったのでしょう?
創建の由来について
第27代安閑天皇(あんかんてんのう)の御代の534年に、磯部氏(いそべし)が祖先神である経津主命(フツヌシノミコト)を祀るお社を建てました。
これが、貫前神社の始まりだと言われています。
ただし、創建については、別の説もあるのですね。
安閑天皇の御代に抜鉾大明神(ぬきほこだいみょうじん)が、笹岡山に降り立ち、鉾を逆さに立てました。
この故事を記念して、第40代天武天皇(てんむてんのう)の御代の677年(白鳳6年)に、抜鉾大明神(ぬきほこだいみょうじん)を祀るお社を建てたのが、貫前神社の始まりだとも言われています。
どちらの創建由来が本当なのでしょうか。
現在の貫前神社という名前は、実は明治時代の初めに改称されたもの。
『日本書紀』『続日本紀』などの史料には、貫前神社は「抜鉾神社(ぬきほこじんじゃ)」と「貫前神社(ぬきさきじんじゃ)」という2つの名前で表記されています。
江戸時代以前の史料でも2つの神社として記載されているのですよ。
そのため、貫前神社は、
1.別の神さまを祀っていた2つの神社だった
2.1つの神社が別の名前で史料に表記されていた
という2つの説が唱えられており、現在も決着していません。
いずれにしても、創建から約1400年以上はたっている、長い歴史を持つお社であることは間違いないのです。
貫前神社は、平安時代後期から武家から厚く信仰されるようになり、戦国時代には甲斐国(かいのくに)の武田家から、江戸時代には徳川家から庇護されてきました。
現在の社殿は、江戸時代に徳川家によって整えられたものです。
不明門(あかずのもん)が気になる
総門の東側にある不明門は、朱雀天皇時代に建てられたものです。その名の通り普段は閉じられた状態なのですが、年に2回ある御戸開祭と、4月15日の流鏑馬神事の時だけ開かれます。
御戸開祭の時には、お祭りにかかわる方々が行列をなして境内を一周して、その後不明門を通過するのですが、一般の参加者であっても行列の後ろであれば門をくぐることができます。
貴重な経験であり、穢れを浄化してもらえる可能性もありますのでありがたくくぐらせていただくのも良いでしょう。
ご利益
交通安全
主祭神
経津主神(ふつぬしのかみ)
姫大神(ひめおおかみ)
経津主命は、高天原の神々が、葦原中津国を平定するために派遣した神様。
軍神であることから、物部氏の祖先神としても知られています。
経津主命とともに派遣された武甕槌命(タケミカヅチノミコト)とは、一対の神さまとして扱われることが多い神さまです。
有名な例としては、千葉県の香取神宮と茨城県の鹿島神宮がありますね。
香取神宮の祭神であることから、経津主命は「香取さま」とも呼ばれています。
一方、姫大神(ひめおおかみ)は、女神であることはわかっているのですが、詳しいことがわかっていない謎の神さま。
一説によれば、養蚕と機織の神さまではないかと言われています。養蚕の盛んな富岡のお社にふさわしい神さまですね。
貫前神社の見どころとパワースポット
貫前神社の参拝は、「下り宮」とても珍しい形式なので、ぜひ注目してください。
正面参道から石段を上り、大鳥居をくぐったあとは、本殿まで石段を下っていきます。
本殿まで下って参拝するお社を、「下り宮」と呼ぶ全国的に見ても珍しいもので、他には宮崎県の鵜戸神宮や熊本県の草部吉見神社がありますよ。
江戸時代に徳川幕府から庇護された貫前神社の社殿は、第3代将軍徳川家光の時代に建てられたもので、国の重要文化財にもなっているもの。見応えのある社殿ですから、参拝の際にはじっくり見学しましょう。
境内には樹齢1000年以上の大木があり、パワースポットだと言われています。
そのうちのひとつの藤太杉は、940年(天慶2年)に起きた平将門(たいらのまさかど)の乱を平定した藤原秀郷公(ふじはらのひでさと)が、戦勝を祈願して年齢の数だけ奉納した杉の1本なのだとか。
楼門
拝殿
月読神社
手水舎
抜鉾若御子神社
末社:日枝神社
末社:内宮・外宮
写真左が内宮、右が外宮。群馬県でもお伊勢参拝ができるとはとてもありがたいですね。
貫前神社へのアクセス
・公共交通機関を利用する場合
JR東日本高崎駅下車、上信鉄道上信線乗車45分、上州一ノ宮駅下車、徒歩約10分
*上信鉄道は、JR東日本上越新幹線・北陸新幹線が乗り入れている高崎駅で乗り換えると便利です。
・車を利用する場合
上信越自動車道富岡インター下車、県道192号経由、約15分
まとめ
創建の由来には2説ありますが、創建から約1400年以上たった古いお社です。私が参拝すると、ちょうど彩雲が出ていて美しかったですよ。
境内には、1000年以上の樹齢を誇る大木があり、パワースポットとして親しまれています。
世界遺産の富岡製糸場が近くにありますから、参拝のあとに見学してみてはいかがでしょう。