大山咋神の信仰について
丹波後は湖の底に沈んでいたといいます。大山咋神はその湖を干上がらせることによって、人が住める土地を作ったとされます。この新しい土地に住むことになった人々が感謝の気持ちを込めて祠を作ったのが大山咋神の信仰の始まりになったそうです。
また、古事記においては、現在の比叡山と京都の松尾に鎮座しており、。古事記には日枝山と記載されているが、これは比叡山全体ではなく里山である八王子山の部分のみを指すという説もあります。
大山咋神の「クイ」は杭を表します。山に杭を打ち込むということから、山を所有する神様とされます。山の化身として表されることもあり、森林や農作地をつかさどる神様として崇められます。
神話上で関係の強い神様
父に当たる神様は大年神(オオトシノカミ)です。大年神は建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の子に当たる神様ということで、大山咋神はスサノオの孫ということになります。
「古事記によると、大年神と天知迦流美豆比売神の子とされる神様は十柱になります。つまり大山咋神の兄弟神として、奥津日子神、奥津比売命(大戸比売神)、庭津日神、阿須波神、波比岐神、香山戸臣神、羽山戸神、庭高津日神、大土神(土之御祖神)がいます。この神様は、竃やお屋敷、農地などと稲作のための神様ということで、おそらく農業に関するご利益がある神々がここで生まれたということがわかります。
その他のエピソード
東京の日枝神社にも大山咋神は祀られています。この神様はかつては江戸城の守護神とされている時代がありました。江戸幕府の将軍である徳川家の氏神となり、明治時代以降には皇居の守護をしているとされています。意外と影響力のある神様ですよね。
現在でも多くの人の豊かな生活を守ってくれている神様になります。
別称
山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)
鳴鏑神(なりかぶらのかみ)
ご利益
農業守護、厄除け、酒造守護
主要な神社
日吉大社(滋賀県大津市)
松尾大社(京都府京都市)