この記事は、T.A様よりいただいたお問い合わせに対する回答として執筆いたします。
メール送付ができませんでしたので、こちらをお返事として変えさせていただきます。
長瀞宝登山神社の本殿内奥のおみくじ
実は長瀞宝登山神社の拝殿に入ってみると、内奥に戸板がかけられており、そこには和紙のおみくじがあります。
この内容は神話をベースにしたおみくじで、戸隠神社や天河弁財天社などnagomeruで解読文を掲載しているものと同じになります。
長瀞宝登山神社のおみくじは、日本の神話のおみくじ80番中の10枚が欠けたものとなっています。
戸隠神社と長瀞宝登山神社が同じ理由
では、なぜ長瀞宝登山神社の拝殿内のおみくじが戸隠神社や天河弁財天社が一緒のおみくじになっているのでしょうか。関東地方である秩父地方にまでおみくじが広まっているかを考えていきます。
日本神話のおみくじが広まった理由
調べてみると、日本神話をベースにしたおみくじの発祥の地というものはわかりませんでした。
ただ、すでにわかっている内容から推測できることがあります。
元々おみくじは、平安時代に生まれたもの。現在川崎大師や清水寺など大きなところでも使われている漢文体の100個の結果から、仏様からのお告げを得る手法として使われていました。
元三大師という高僧がその発案者ということになっています。
時代は流れ明治時代になると神仏分離という政策がとられるようになります。
元々はひとつであった神社とお寺がわかれたのですね。
この時、観音菩薩からのお告げの体をもっていた、おみくじは形の変化を求められることになります。
現在主流となっている和歌みくじもこのとき生まれたそうです。戸隠神社と今回の長瀞宝登山神社などは日本神話「古事記」の内容を使った80個程度のおみくじ。これもその時代に生まれました。発祥地については、確定したことは私も存じ上げませんが、戸隠、三峯~秩父エリアは共に仏教的な要素の強い神社ですよね。
これは山岳信仰という信仰が盛んだった土地だったという共通点があります。戸隠が先かはわかりませんが、同じ旧山岳信仰系神社の流行というものがあったのではないでしょうか。
ちなみに、こちらも山岳信仰があった奈良県の天河弁財天社でも、同じおみくじが使われています。このことからも山岳信仰系神社の間でこの時代に広まったという推測はそう間違ってはいないように思います。(宮島にある厳島神社も同じ古事記神話系のおみくじ)