子供の躾(しつけ)がなっていないという会話に違和感を覚えます。「しつけ」って必要でしょうか。
もし、この記事にたどり着いた方が子育て中で、
子供のしつけは大事に決まっているじゃない!
と怒りやもやもやを感じたら、是非続きを読んでみてください。
躾ってなんだか知ってますか?
まずはじめに、しつけという単語の語源や意味について一般的な解釈をおさらいしましょう。
「しつけ」とは
しつけという単語は仏教用語で習慣性を意味する「習気(じっけ)」という単語に語源があるとされます。これに、一般的に使われるようになり「しつけ」に変化していったという説です。また、平安時代の随筆である枕草子でも使われている単語に「しつく」という動詞があり、これも何度もやって慣れるという意味。どちらにしても繰り返して行うことによって、行動を一般化するという意味があります。
上の単語の意味からすると、快適な生活をする上で不自由のないようにという気持ちから子供に教えてあげるという意味になります。
本来はそのような意味で考えられるでしょう。
ただ、最近の子育て論やテレビなどで行われているお受験などの報道を見る限り、必要以上の「しつけ」がなされているように感じてならないのです。
常識を教えて悪いことがあるのか?
特に厳しい家庭環境で育てられた方というのは、親になると子供を正しく育てなければと感じてしまうものです。
それもそのはず、あなたの子供時代には愛情たっぷりの家庭があり、そこでは日々厳しい教育がなされていたのですから。
ネガティブな言い回しになりますが『蛙の子は蛙』ということわざがあります。これは親が凡庸なら子供も普通という意味で使われますが、長所短所かかわらず親の性質を子供は引継ぎやすいという傾向が昔から知られているわけです。
これは、家庭における出来事が愛情からくるものであると信じたいという、子供の願いからくるものなのではないでしょうか。
親からやられて嫌な思いをしたことがるなら、あなたで断ち切る必要がある
そう感じるのです。
常識を教えて子供に愛情を注いでいるのは間違いないでしょう。ただ、その常識はあなたの人生が作り上げた自分ルールだと気づいてください。
その自分ルールは決して正しいとは限らないものですし、20~30年新しい世代に通用しないかもしれないのです。
「しつけ」は過剰になると「強要」になる
子供を正しく、誰からも悪く言われないように、人生で大きな失敗をしないようにと、正義をもって子供と接すると「しつけ」は徐々に「強要」の表情を見せ始めます。
- お箸は右手で持たなければならない
- 学校の皆勤賞はほめられるべきこと
- 嫌いな子にも優しくしなければならない
- 電車で泣いてはいけない
挙げればきりがないですが、これらの例のように落ち着いて考えるとどうでもいいことって多いのです。大人になったら自然とご飯は綺麗に食べるようになるし、嫌いな子とは同じグループになることはありません。
子供に無理をさせすぎないようにしましょう。
「しつけ」という単語は、丁寧の頭に「お」をつけると「おしつけ」になるのです。
親の価値観をそのまま強要していないかどうか、しっかりと自分で感じながらお子さんに伝えるようにしてあげてください。
まとめ
子供の躾(しつけ)について、世の中のお父さんお母さんと接するときに違和感がありより良い子育てについて書いてみました。
しつけは強要になる可能性をしっかり認識していれば、基本的礼儀作法について子供に教えてあげるのは私ももちろん賛成です。
根本にあるのが子供への純粋な愛情なのか、親が子供を思い通りにしたいのかについてしっかり見極めなければなりません。