日々の生活の中で、「あの人の言ったことは本当かな?」なんて、つい相手の顔色をうかがってしまうことがあると思います。
私の好きな本に、中国の古い書物である『菜根譚』というものがあります。
その中では、現在の神道にも似た考え方で、対処法が書かれています。
今回はその一節を紹介して、どうすると楽になれるかについて考えていきましょう。
菜根譚の参考になる一節
人を疑う者は、人必ずしも尽くは欺かざるも、己は則ち先に欺く。
この詩の意味はこうです。
人を信じる人は、相手が必ずしも誠実であるとは限りませんが、自分自身は誠実です。
反対に、人を疑う人は、相手が必ずしも騙そうとしているとは限りませんが、自分自身がまず心の中で人を欺いているのです。
昔の人ながら、とても心の動きを理解されているなと感心します。
答えを「外」に探さない
私たちはついつい、相手が信頼できるかどうかという「情報」を集めて、安心したくなってしまいます。でも、相手の心は変えられませんし、100%見抜くことも難しいです。メンタリストと称して有名になっている方もいますが、この方でさえ完全な理解はできません。
一般の私たちなら、なおさらこの道はあきらめた方がいいでしょう。
では、どうしたらいいのかというと、この言葉の通り。
「相手がどうであれ、自分だけは誠実でいよう」という姿勢です。
裏切られたら寂しいという不安もわかりますが、一度手放しして、自分の内側にある「誠実さ」を大切にしてみましょう。そうすると、不思議と楽になれるものです。疑いの気持ちがないだけでも、清々しいですよね。
お天道様が見ていると同じですね
昔からよく言われる「お天道様が見ている」という言葉。
これは決して「監視されている」という怖い意味ではありません。罰が当たるからやらないようにしようという意味でもありません。
誰が見ていなくても、自分自身の心だけはちゃんと知っているよ
このような、自分を裏切らないようにしようという気持ちだと思います。
誰も見ていないところで、そっと靴を揃えたり、丁寧にゴミを拾ったり。そんな、ちょっとした慎みのある行動を積み重ねていくと、自分に誇りを持てるようになってきます。
「知っている」を「心地よい振る舞い」に変えて
立派な本を読んで知識を深めるのは楽しいですね。菜根譚は本当に学びの良い書物です。
昔中国にいた、人間観察が趣味の変わった方の考えた視点を、現代でも学べるというのは本当にありがたい。
相手がどうあれ、自分は誠実であった。
その実感さえあれば、心はいつでも穏やかでいられます。