インターネットが一般的なツールとなり、個人が好きなことを発信することができる時代。このブログを含めて、非常に大きな恩恵を受けています。
ただ、一部では過激な発信をして、注目を集めるようなこともなされるようになっています。
強い発信がよくも悪くも目立つため、どうしてもそのような刺激の強い話題を見て心が動いてしまう方も多いことと思います。
発信される内容が、もしかしたら自分の倫理感と合わないものもあるでしょう。そのような話を見聞きした時、あなたは以下のうちでどのような行動をとっていますでしょうか。
- ネット上で事実だけを拡散する
- ネット上で批判や感想を述べる
- 現実の友達とその事柄について話す
- 特に何もしない
一番近いものがありましたでしょうか。
私が心を穏やかにしたいと思ったときのお勧めは④の行動を起さない、話さないというものです。
①は否定するような意図はないのでしょうが、主張の違いを明確化してどこかで争いを生むことに加担してしまっています。
②、③は悪口に相当します。テレビやネット上の人物だからといって否定的な言葉は心を整えたい方が使うものではありません。自分が発した毒のある言葉は必ず自分に影響するものだと改めて認識しましょう。
今さら聞けない!悪口が自分に返ってくる理由
不満や陰口、文句が自分に返ってくるという話は、誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。ただ、これについて実感が湧かないから、皆このような行動をとり続けるのだと思います。
ただの言い伝え、迷信だと思っているのでしょうね。
以下では、悪口を言うことで実際に自分に苦しみとなって戻ってくる理由を書いていきます。
悪口は自分の自由を奪う
人世の豊かさとは何かについて考えた時、その一つの大きな要素として挙げられるのが「自由」。多くの方が納得されるのではないでしょうか。
他人への悪口を表に出してしまうと、この自由を自分の手で奪ってしまうことになるのです。
例えば、芸能人の不倫について友人と世間話をしていたとします。
「○○さんって子供もいるのに、はしたないわよね。前から怪しいって思ってた。結婚しているのに異性と二人でお出かけする人の神経が知れない・・・」など。
まぁ、大抵こんな感じでゴシップというのは世間話の話題となっていますよね。
さて、このような発現をした後で、あなたはその世間話をした友人に出会う可能性があるところに異性と2人になれるでしょうか。もし見られたらどうしますか?
お気づきでしょうか。
やましい関係でなくても、たとえ異性の兄弟と歩くことさえ、引け目を感じることでしょう。自分から自由が失われていたり、欠損していることがわかると思います。
悪口を言うということは、自分の行動の選択肢を狭めてしまうのです。
これは、もともと「異性と歩く」という状態に対して、あなたがネガティブな意味づけをしたことによります。
悪口を言うと、自分自身を傷つける行動がそれだけ増えてしまう。
このことを、自分を傷つけると表現したり、自分にそのまま返ってくると表現しているのです。
悪口、文句、不満などは頭に浮ぶのは仕方がないことなのかもしれません。ただ、口に出したり他人に聞かれるようなところで、表に出さないことが懸命だといえるでしょう。