これから先、みなさん叶えたい夢がきっとありますよね。
ただ、精神的な話を勉強していると時折「欲は悪いもの」とされることがあります。とくに仏教を少し学んだころに、混乱しがちなポイントと言えるでしょう。
煩悩を消し去ることが正しい道のように思ってしまうと、叶えたい夢が悪いものなのではと、尻込みしてしまったりうまく進まなかったりするものです。
欲は善悪で判断せず、ただ起こるものと認識しよう
私は「欲」が発生することは、自動的に呼吸がでるのと同様に人間の生理現象のようなものだと考えています。
おなかがすいた、トイレに行きたい、あれが欲しい、というのは適正な範囲であれば生命維持のための生き物として必要な能力でしょう。
自身の心持ち次第で人生を豊かにするものにもなりますし、古くから言われるように苦しみの原因にもなるのだと考えています。
人生を豊かにするための願いの出し方
何者かになりたいとか、あの経験をしたいとか、または欲しい物、家、車があったりと、人は多くの願いを持っています。
願いには、叶えるほどに気分が良くなるものと、逆にいくら手に入れてもいつまでも満たされない気分が残るものがあります。
これまでの経験を振り返ってみると、この2つは明らかに違う性質のものであると気付けるかもしれません。
私が思うに、願いには以下の2種類があると考えています。
- 人生の経験や成長を増やすための願い
- 自分の足りないところを補うための願い
注意すべきは足りないところを埋める願望
自分に足りない部分があると認識していて、これを埋めるための願いがあるとすれば、これは気をつけた方が良いでしょう。この願いの中身は不満だからです。
自分に実力がないから。自分に魅力がないからと思いながら、お金を得てみたり、着飾ったりというものがそれです。
欲が良くないとされるのは、この考え方に人はなりやすいためなのでしょう。
根底に不満があると、欲しい物が手元にやってきても欲望は満たされることはないのです。
苦しいのも貴重な経験だけれど
いつまでも満たされない思いというのは、一人の時間になると苦しくなるでしょう。
この苦しさも人生経験としては重要なものになると思いますが、せっかくならどこかで気分が良い願望実現も経験してもいいと思うのです。
幸せにつながる願望の出し方
気分が良く、叶えるほどに幸せを実感できる願い方は、
叶える過程から叶う瞬間まで、全体が人生として価値を見出せるものにするということです。
他の言い方をするなら、願いの動機が最も大切にすべきポイントである。とも言えます。
例えば、同じ車を買うにしても、「お気に入りの車に乗ったらどんな感覚を味わえるだろう」と考えるのと、「周りの人に成長したところを見せつけたい」と考えながら行動したのとでは、得られる豊かさが大きく違うのです。
もちろん、前者がより幸せな望み方、後者は次の欲を生む考え方となります。
まとめ
望みは欲の一種には違いないですが、考え方によっては幸せにも苦しみにもつながるものだと考えます。
もし叶えたいことがあるときには、一度立ち止まってみましょう。行動する前に自分の中にある動機が、感覚を味わいたいとか実際に経験してみたいというウキウキと心が躍るような感情になっているかどうか見ていきましょう。
ひとつひとつ丁寧に自分の欲と向きあう事で、ただ願いを叶えていくよりも豊かな気分になれると思います。