御成敗式目に見る日本人の心のありよう

高校の日本史で習った記憶がある御成敗式目。

鎌倉幕府が御家人のために、それまでの武家社会での道徳や慣習をまとめたものです。

武家社会の道徳や慣習が、日本人の心のありようがつながるのはピンと来ないかもしれません。

ですが、海外などで「サムライ」が人気があるのには、単に刀を振り回す強い人という意味だけでなく、御成敗式目を初めとする心のありようが注目されているのです。

御成敗式目の冒頭には、心の状態を整えるために大切なことが書いてあるのです。

今回はその部分について、わかりやすく説明していきますので、難しい文章が苦手な方も是非読んでみてください。

御成敗式目とは

御成敗式目とは、鎌倉時代に、それまでの武家社会の道徳や慣習、守護や地頭の任務や権限をまとめたものです。

1232年(貞永元年)に、鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時ほうじょうやすときによって制定されました。

北条泰時は、鎌倉幕府第2代執権・北条義時ほうじょうよしときの息子。尼将軍・北条政子の甥にあたります。

北条義時は、1221年(承久3年)に承久の乱を起こした鎌倉幕府の最高権力者。政敵・後鳥羽上皇を追放し、鎌倉幕府の権力基盤を確かなものにした人物として知られます。

2022年に放映予定のNHKの大河ドラマ「鎌倉どのの13人」は北条義時を主人公にしたドラマ。北条義時は小栗旬さんが演じることが決定しています。おそらく、子供の頃の泰時も登場するでしょう。

父・義時が63歳で突然に亡くなったため、叔母・政子は41歳の泰時を執権に任命します。泰時が執権に就任した当時、武家社会の法律もは地方ごとに異なっていました。

就任当時、同じような罪を犯しても、国境を超えると処罰が変わってしまっていたところについて、泰時は武家社会の道徳や習慣、慣例などを統一しようと、御成敗式目を制定したのです。

御成敗式目に定められていること

御成敗式目は、その大部分が法律を定めたものです。全部で51条からなる文章で書かれた法律になります。

第3条〜6条では幕府と朝廷の関係を定め、それ以外の条文の多くは、刑法、家族法、訴訟法、裁判法などの法律に関わることが定められています。

今回注目すべきは、この重要な法律に関する書物のうちの、一番初めの部分です。

第1条と第2条に書かれていることは、刑法や裁判法などではなく心のありようについて書かれているのです。

御成敗式目の第1条と第2条とは

御成敗式目の第1条は神社に関わること、第2条はお寺に関わることについて指針が示されています。

それぞれの条文の原文は、漢字のみで書かれた文章で読みづらいので、読み下し文と現代語訳を掲載しているサイトからの引用を使いながら解説していきます。

御成敗式目の第1条

第1条 原文読み下し文

一、神社を修理し、祭祀を専らにすべき事

 右、神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ。然れば則ち恒例の祭祀は陵夷(りようい=衰退)を致さず、如在(によざい=神を祭る) の礼奠(れいてん=供物)は怠慢せしむるなかれ。これによつて関東御分の国々ならびに庄園に於ては、地頭神主ら各(おのおの)その趣を存し、精誠を致すべ き なり。兼てまた有封(うふ=封戸のある)の社に至つては、代々の符(=太政官符)に任せ、小破の時は且(かつがつ)修理を加へ、もし大破に及び子細を言上 せば、その左右(さう=状況)に随てその沙汰(=指示)あるべし。

引用:世界の古典つまみぐい 『御成敗式目』一覧

第1条 現代語訳

神社はしっかりと修理して綺麗な状態を保ち、お祭りを大切にすること

神様の存在は敬うことによってそのお力も大きくなるものです。また、信仰するものはその神様のお力をいただいて運がつくもの、幸せはその先に見えるものです。

そのためには、神社を修理して恒例で行っているお祭りなどを大切にしましょう。また、神様へのお供えもケチらずしっかり行いましょう。

関東御分国かんとうごぶんこくにあたる国や荘園しょうえんの地頭と神主は、このことをよく理解して行動しなければなりません。神社を修理するときには、領地を持つ神社は小さな修理は自分たちで行い、手に負えない大きなものは幕府に報告をすること。詳細について連絡をすれば、内容を調べた上で方法について対策を指示します。

御成敗式目の第2条

第2条 原文読み下し文

一、寺塔を修造し、仏事等を勤行すべき事

右、寺社異なると雖も崇敬これ同じ。よつて修造の功、恒例の勤め、宜しく先条に准じ後勘(こうかん=後日の咎め)を招(まね)ぐことなかるべし。但し恣 (ほしいまゝ)に寺用を貪り(=私用に回して)、その役を勤めざるの輩に於ては、早く彼の職を改易せしむべし。

引用:世界の古典つまみぐい 『御成敗式目』一覧

第2条 現代語訳

寺や仏塔は修理して、僧侶としてのおつとめに励むこと

僧侶は寺や塔の管理を正しく行い、日々のおつとめに励むこと。自社でない宗教についても同じです。

寺も神社も人々が敬うべきものであり、建物の修理とおつとめをおろそかにせずに、後になってから非難されるようなことがあってはならない。また、寺の物などを悪意をもって私用で使い、おつとめをはたさない僧侶は直ちに職を解き、寺から追放すること。

 

御成敗式目の第1条と第2条で伝えていること

第1条には、神社で神を敬い、大切にすることで人々が幸せになるとあります。また、第2条では、僧侶が果たすべき務めを説くとともに、寺も神社も人々が敬うべきものだとありますね。

日本の国土では、自然は豊かな恵みをもたらすとともに、ときに大きな災厄をもたらす存在でもありました。

人々は自然を敬い、恐れるようになり、やがてそこから自然に対する祈りが生まれます。恵みに感謝し、災害を起こさないように供物を供えて祈ったことでしょう。火や水、山や海に神さまがいらっしゃると人々は考え始め、祈りを捧げる場はやがて神社に発展していきました。

神社の神さまに対して敬意を抱くことは、遠い私たちの先祖が伝えてきた、自然への敬意と畏怖を抱くという伝統を、受け継いでいることに他なりません。

飛鳥時代に日本に伝来した仏教は、はじめ異国の神として捉えられました。仏教を興隆しようとする蘇我氏と、物部氏や中臣氏のような排斥勢力との間で戦が起きたこともあったのです。

蘇我氏と聖徳太子によって、仏教は日本国内で広められました。奈良時代には主だった神社にお寺が併設されるようになり、さらに平安時代には仏教と神道は混ざりあい、神前で読経することも行われるようになったのです。

融合した神道と仏教は、日本人にとって心の拠り所でもありました。

北条泰時が御成敗式目を定めた頃は、鎌倉幕府が成立してから約30年しか経っていません。

きっと平安時代末期の武家の台頭による戦乱で、神社やお寺も荒れ果てていたでしょう。泰時はその状況を改善するため、支配階級である武家に神社とお寺を敬い、大切にせよと説いたのです。日本人にとっての心の拠り所が荒れ果てていたのでは、民衆の心が荒んでしまいまうことを懸念していたのですね。

御成敗式目に見る日本人の心のありよう

日本人にとって、神社とお寺は大切な心の拠り所です。

国の安寧を願って、武家に神社とお寺を大切にすることを説いた北条泰時。

泰時が御成敗式目の冒頭においた神社とお寺を大切にすることは、現代の私たちの生活にも息づいています。

子供が生まれればお宮参り、無事な成長を祝って七五三参り、高校や大学受験でご利益があると言われる神社やお寺に合格祈願。年老いて亡くなれば、お坊さんにお葬式を上げてもらい、3回忌などにお寺にお墓参り。例外はもちろんありますが、皆さんにも経験があることでしょう。

明治政府によって、神社とお寺は分けられてしまいましたが、日本人にとってはどちらも生活に溶け込んだ、大切な心の拠り所となるのです。今後神社やお寺へ参拝するときには、昔の方の思いについてもかんがえたいものです。

まとめ

北条泰時が御成敗式目の冒頭に説いた、神社とお寺を大切にすること。

飛鳥時代に日本に伝来した仏教は、やがて元からあった神道と溶け合っていき、主だった神社にお寺が併設されるようになりました。

日本では、神社とお寺は分けることができないものとして根付き、何世紀にもわたって大切にされてきたのです。

日本人にとって、神社とお寺は大切な心の拠り所。ぜひ、近所の神社やお寺を大切にしてくださいね。

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