石上神宮(奈良県天理市)剣に宿る神さまを祀る神社

石上神宮とは?

石上神宮いそのかみじんぐうは、奈良県天理市てんりしに鎮座する、非常に長い歴史を持つ神社。

かつては物部氏の氏神であった有名な神社となります。

物部氏といえば、朝廷の軍事を司っていた一族。その物部氏の祖先が、剣を祀ったのが石上神宮の始まりとされています。

御祭神も戦いに関係の深い神さまで、勝運をあげるご利益が有名な神社。

石上神宮は何かに打ち勝ちたい力を得たいときに参拝をおすすめします。

石上神宮の歴史について

じつは、石上神宮の詳しい創建の由来はわかっていません。

しかし、『古事記』『日本書紀』には石上神宮の名前が早くから出ていることから、長い歴史を持つ神社だということは間違いがない事実。

『日本書紀』の記録をみてみますと、第10代崇神天皇すじんてんのうの御世に、御神体の布都御魂剣ふつのみたまのつるぎを、物部氏もののべしの祖先である伊香色雄命いかがしこおのみことが現在の奈良県にあるこの地に祀りました。

また、第11代垂仁天皇すいにんてんのうの御世には、石上神宮に剣と神宝が収められています。これによって崇神天皇と垂仁天皇の在位中には、石上神宮が存在していたことがわかります。

一説によれば、最初の天皇であるとされている神武天皇じんむてんのうと同一人物ではないかと言われている崇神天皇は、古代の天皇で実在が確実視されている最も古い天皇になります。崇神天皇の在位時期は、3世紀後半だったと考えられています。

また、実在性を疑われてはいるものの、崇神天皇の子である垂仁天皇は、3世紀後半から4世紀前半に在位したのではないかと考えられている天皇。

この親子2代の天皇陛下の在位年に既に存在していたのであれば、石上神宮の創建は3世紀後半だったと言えるでしょう。

推測では創建から1,700年!?

この計算によれば石上神社は、創建から1700年以上経過した、とても古いお社だということになりますね。

また、「神宮」という称号を、石上神宮は伊勢神宮と同様に古くから使用しています。

伊勢神宮の古い名前は、磯宮と書いて「いそのみや」もしくは「いそのかみ」と呼ばれていました。この磯宮と石上は両方とも「いそのかみ」という音で一致しています。

伊勢神宮と石上神宮には何らかの関係があるのではないか、と指摘する学者さんもいるほど。(残念ながら詳しいことはわかっていません。)

石上神宮にも斎宮がいたと言われているので、伊勢神宮と何かしらの関係はあったのでしょう。

最も有名な石上神宮の斎宮は、布都姫ふつひめという女性で、物部尾輿もののべのおこしの娘だと言われています。

祖先が御神体にもなっている剣を祀った神社ですから、飛鳥時代には石上神宮は物部氏の氏神となりました。これ以降、石上神宮は朝廷から厚く信仰され続けることとなります。

本殿は意外と新しい

ずっと本殿が存在せず、拝殿の奥地を禁足地として祀っていました。しかし、1874年(明治7年)に禁足地の発掘が行われます。その時に出土した剣や勾玉などの神宝を祀るための本殿が1913年(大正11年)に完成、意外と本殿自体は新しいものなのです。

現在は、秋の紅葉の名所として、またパワースポットとしても人気の高い神社となっています。

石上神宮の御祭神

石上神宮の主祭神は、

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

三柱の神さまをご紹介すると、

布都御魂大神は、御神体の剣である、布都御魂剣ふつのみたまのつるぎに宿る神さまです。布都御魂剣は、武甕雷神(タケミカヅチノカミ)が持っていた剣で、東征の際に、神武天皇が無事に大和国に入るのを助けた剣とされています。

布留御魂大神は、天孫降臨の際に、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が授けられ、芦原中国あしはらのなかつくにに持参した、十種神宝とくさのかんだからに宿る神様。

布都斯魂大神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が出雲国いずものくに(現在の島根県)で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に用いた、天十握剣あめのとつかのつるぎ

石上神宮のご利益

三柱の神さまはすべて、戦いに関係する神さま。

朝廷の軍事を司っていた物部氏の氏神として、ふさわしい戦の神さまが祀られていることから、石上神宮のご利益で最も有名なものは、勝運上昇。

石上神宮の境内では、御神剣のお守りが「起死回生のお守り」として授与されていますよ。

何かしらの勝負に勝ちたい、重い病に打ち勝ちたいといった願いを抱いている方は、ぜひ一度、石上神宮を参拝しましょう。

石上神宮の境内と周辺の見どころ

天理駅から、山辺の道を目指して東に歩き、石上神宮へ。

徒歩30分ほどで、鎌倉時代の1318年(文保2年)に建てられた石上神宮の楼門にたどり着きます。

楼門は重要文化財に指定されていますから、じっくりと見学させていただきましょう。

江戸時代まで鐘楼門として使われていたので、明治時代に廃仏毀釈が行われるまで鐘が吊るされていたそうですよ。

境内に入ると、国宝に指定されている、鎌倉時代に建てられた拝殿が正面に見えます。

無断では立ち入ることはできませんので、拝殿への昇段を希望する場合は、社墓所で御祈祷を申し込みましょう。

国宝の七支刀は特別公開のみ

石上神宮のお守りのモチーフにもなっている国宝の七支刀は、残念ながら特別公開時以外には見ることができません。

2020年には、東京国立博物館の特別展に出展されていました。

見学希望の方は、こうした特別公開の機会を逃さないようにしましょう。

石上神宮の参道と境内には、約40年前に奉納されたことがきっかけとなり、現在も30羽ほどの鶏が元気に歩き回っています。

鶏にちなんだ御神鶏みくじは、ニワトリをかたどった、とてもかわいらしいおみくじ。

ぜひ、引いてみてくださいね。

石上神宮が起点となる山辺の道は、北へ向かえば奈良市の旧市街へ、南に向かえば三輪山に行くことができる道。

石上神宮から大神神社へも歩いていけますが、2時間ちかくかかります。

気候がよく、天気も良い気持ちの良い日に、長時間ウォーキングしても大丈夫なスタイルで、飛鳥路を散策してみてはいかがでしょう?

石上神宮へのアクセス

・公共交通機関を利用する場合
JR西日本桜井線・近鉄天理線天理駅下車、徒歩約30分

・車を利用する場合
名阪国道天理東インター下車、県道51号経由、約5分
西名阪自動車道天理インター下車、 県道51号経由、約10分

 

あわせて知りたい!

物部氏とは?

物部氏は古代の豪族。

物部氏の祖先は、天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に従って葦原中国(あしはらのなかつくに)に降り立った神の一柱である、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)だと言われています。神武天皇の東征以前から、大和盆地に定着していた一族で、東征以降は代々朝廷に仕え、軍事を司り、神さまを祀る祭祀を行ってきました。

物部氏が軍事を司っていた関係で、石上神宮は、古代の大和朝廷の武器庫として使われていた時期もあったのだとか。

第29代欽明天皇(きんめいてんのう)の御世に、朝鮮半島の国の一つ・百済(くだら)から仏像がもたらされます。日本にもたらされた仏教は、朝廷内に大きな摩擦を生みました。

日本古来の神さまを祀る物部尾輿(もののべのおこし)やその盟友・中臣鎌子(なかとみのかまこ)と、厚く仏教を信仰し、広めようとする蘇我稲目(そがのいなめ)との間に、激しい争いが起きたのです。(中臣鎌子は、中臣鎌足公とは別人)

争いは2人の息子にも引き継がれ、物部守屋(もののべのもりや)と蘇我馬子(そがのうまこ)の対立は、第31代用明天皇(ようめいてんのう)の崩御をきっかけに、戦に発展してしまいました。

皇族の後ろ盾を得た馬子は、587年7月、河内国渋川郡(かわちのくにしぶかわぐん、現在の大阪府東大阪市)にあった守屋の屋敷に攻め込み、討ち果たすことに成功したのです。

ちなみに、蘇我氏は朝廷で財務をつかさどる一族でした。

物部氏と蘇我氏の争いを現代風に置き換えると・・・防衛大臣と財務大臣が、歪みあって内戦を起こした、とも言えますね。物部氏の頭領だった守屋が亡くなったことで、物部氏は一時期、勢いを失いました。

しかし、686年(朱鳥元年)ごろ、物部氏から石上氏に名を改めた一族が本家となり、朝廷内でも復権。8世紀には、左大臣を出すまでに、石上氏は繁栄しましたが、それ以降は朝廷内で出世する者を輩出できず、9世紀前半までには衰退しました。

まとめ

奈良県桜井市に鎮座する、石上神宮。

詳しい創建の由来は不明ですが、崇神天皇と垂仁天皇の御世に存在していたことが、文献史料には残されています。

1,700年以上の長い歴史を持つお社の御祭神は、戦いに関わる神様です。

古代の朝廷で軍事を司っていた物部氏の氏神でもあった、戦いに関わる神さまを祀る石上神宮のご利益は、なんと言っても勝運上昇。

何かに勝とうとしている方は、ぜひ参拝して戦いの神様たちのお力添えをお願いしてくださいね。

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