山岳信仰と修験道の関係|意外と知らない山岳信仰4つのタイプとは

山の中の神社に参拝したときに、何か不思議な雰囲気を感じることがあります。

町中にある神社や海のそばにある神社とは違った雰囲気に気付ける方は、多くの神社を回っている方のあるあるかもしれませんね。

山の中にある神社の境内は、「厳かで険しく、凛とした気が充ちている」

実は、山の中の神社には、修行の場としての険しい環境で育まれた信仰の形が、色濃く残されているのもその一因だと考えます。

今回は山の中の神社で感じる、この信仰の形についてタイプや歴史について学んでいきましょう。

山の中にある神社の雰囲気を育んだ理由

日本の神道は、豊かな自然そのものに神さまが宿っていると考え、信仰するところから始まりました。

古代の人々は、海や川、山などを神聖なものとして考え、そこに宿る神さまをお祀りしたのです。

やがて、その中でも特に山を祈りの対象とした信仰の形態を山岳信仰と言います。

山岳地帯は、日本の国土の約4分の3を占めていますから、山岳信仰が盛んになっていったのは、自然ななりゆきだったのでしょう。

日本以外にもある!?山岳信仰とは

ただし、山岳信仰は日本だけで行われている信仰ではありません。

モンゴルやチベット、ネパールなどの東アジア、南米のペルーにも見ることができます。

山そのものを神聖なものとして崇める信仰心は、特にチベット密教の影響のある地域で強く、現在も登山家の入山が禁止されている山が残されています。

また、世界最高峰として有名なエベレスト(チベット名・チョモランマ)では、登山隊が宗教上の立ち入り禁止エリアに無断で入ってしまったため、当時のダライ・ラマによってそれ以降何年間も登山隊の入山が禁止されたことも。(2021年現在は解除されています)

宗教上の聖域として、山がとても大切にされていたことがよく分かるエピソードですね。

日本でも、山岳信仰の対象とされた霊山には、明治時代以前は、修験者以外の入山が禁止されていました。特に女性の入山は厳しく禁止されていたのです。

実際にこの名残は現代でも存在し、奈良県の大峰山は、女性の入山が許されていません。

山岳信仰4つのタイプ

日本の山岳信仰は、大まかに4つのタイプに分かれて発展しました。

  1. 火の神様が宿るものとして、火山を崇める(富士山や阿蘇山など)
  2. 豊富な雪解け水をもたらす水の神さまの宿るものとして崇める(白山など)
  3. 死者が集う場所として山を崇める(恐山、立山、熊野三山など)
  4. 山そのものをご神体として崇める(三輪山、大峰山など)

こうして育まれた山岳信仰は、山の中にある神社に、険しくて厳かな雰囲気を与えた最初のものになったのです。

さらに山岳信仰は、やがてある宗教と遭遇し、また新しい信仰の形を誕生させることになりました。

「山岳信仰+仏教=修験道」新しい信仰の完成の話

仏教との遭遇によって、山岳信仰は新しい信仰の形を誕生させました。

山岳信仰が新しく誕生させた信仰の形を、修験道しゅげんどうといいます。

修験道は、飛鳥時代の行者・役小角えんのおづの開祖かいそとする日本の独自の宗教。

さらに、平安時代に唐からもたらされた密教の影響も受け、修験道は洗練されていきます。

神道と仏教が融合して生まれた修験道は、神仏習合しんぶつしゅうごうの落し子と言っても良いでしょう。

修験道は役小角によって始められたと伝えられていますが、実際に始まったのがいつ頃だったのかについては、確たる史料がないため、はっきりとしていません。

おそらく、役小角が山中にこもって修行していたのを、他の行者が見習って修行するようになり、自然にひとつの信仰の形としてまとまっていったのかもしれませんね。

徐々に仏教の影響が大きくなる

険しい山の中で、日本古来の神さまを信仰して修行していた行者たちの集団は、奈良時代になると仏教から大きく影響を受けるようになりました。

平城京の仏教が政治と強く結びついたことに反発して、厳しい修行によって解脱を目指す仏教の修行者たちが、山岳信仰のある険しい山に現れるようになったからです。

さらに平安時代になると、空海くうかい(弘法大師)と最澄さいちょう(伝教大師)の二人が遣唐使の一員として留学し、山岳での修行を重要視する仏教(密教)の修行を積みました。

帰国した空海は真言宗を高野山に開き、最澄は天台宗てんだいしゅうを比叡山に開き、日本に密教をもたらします。

密教とは
密教とは、大乗仏教だいじょうぶっきょうのひとつ。
山岳での修行を重要なものとしていることから、密教は山岳仏教とも言われます。山岳信仰を行っていた修験者たちは、平安時代にもたらされた密教の影響を強く受け始めました。やがて山岳仏教である密教と、山岳信仰は強く結びついていきます。

こうして、山岳信仰と密教の遭遇と結び付きによって修験道が誕生し、鎌倉時代後期にひとつの宗派としての立場を確立しました。

その後の修験道の歴史について

鎌倉時代後期に宗派として確立された修験道は、仏教の一派として扱われるようになりました。

修験道を誕生させた母体は神道を元とする山岳信仰でしたが、密教との関わりが深かったために仏教的であると判断されたのです。

ついに江戸時代には修験道という信仰に規制をする、修験道法度しゅげんどうはっとが制定されました。

これによって修験道の行者は、真言宗系の当山派とうざんはか天台宗系の本山派ほんざんはのいずれかに所属しなければならなくなったのです。

徐々に衰退する修験道

こうして、仏教の一派として繁栄していた修験道でしたが、明治時代になると修験道を禁止する法律が発布されることになります。

修験道の行者は、すべて還俗げんぞく(宗教的な修行者から一般人に戻ること)させられ、廃仏毀釈はいぶつきしゃくによって、修験道に関わるものもまた破壊されていきます。

修験道を行っていた行者の中には、仏教の影響を排除して神道を元にする新たな宗教団体を立ちあげた人たちもいました。

また、修験道の禁止によって、当山派は真言宗に、本山派は天台宗に強制的に吸収されたのです。

当山派と本山派は、密教として現代も存続しています。

もともと、山岳を信仰の対象とする古い神道だった信仰の形が、仏教(密教)と出会うことによって修験道という新しい信仰の形を誕生させ、明治時代の神仏分離令しんぶつぶんりれいによって、仏教とされたのですね。

神仏習合しんぶつしゅうごうによって、古い神道を元にした信仰が仏教に変容していったのは、非常に興味深い現象だと言えるでしょう。世界的に見ても珍しい、日本だけに見られる逆転現象です。

修験道ってどんな教え?

修験道は、険しい山の中で、厳しい修行を積み、悟りを得ようとする教えです。

修験道の行者を、修験者しゅげんじゃ、または山伏やまぶしと言います。

険しい山の中にこもって修行することから、山伏と言われるようになったのだとか。

仏教の一派である密教の真言宗当山派か天台宗本山派に所属して修行するのですが、修験道の行者は、出家してお坊さんになるわけではないのですね。

修験道の開祖とされる役小角が、仏教の僧侶ではなく、在家ざいけ(出家せずに修行者として暮らすこと)だったことから、修験道の行者も出家しないことが慣例となっています。

神仏習合によって生まれ落ちた修験道は、密教のご真言(サンスクリット語のマントラの訳語で秘密の言葉)を唱え、神道の祝詞のりとを唱え天照大御神(アマテラスオオミカミ)など、日本の神話に登場する神さまをお祀りします。

関連記事である「神仏習合って何なの?」で、神仏習合によってどの神さまと仏さまが同じものとみなされているのかの簡単な一覧表を紹介しました。

ただし、修験道の団体によって考え方が異なるため、ひとつの仏さまが、複数の神さまと同一視されています。

そのため、修験道の各団体の区別は、神道や仏教の研究者でも難しいのだとか。ですので、皆さんが山の中の神社やお寺の修験道が、どの団体のものなのかを判断するのは至難のワザとなります。

日本人の宗教観がおもしろい

日本人の宗教に対する態度は、諸外国の人々から見ると奇異に映るといいます。

子供が生まれてお宮参り、成長を祝う七五三は神社に参拝する。受験や就職などの人生の節目では神社で神頼み。それなのに、結婚式はキリスト教の教会であげ、お葬式はお坊さんを呼んで仏式で行う日本人の姿が、ひとつだけの宗教を信じる諸外国の人々には理解できないから。

しかし、日本においては、1,000年以上もの長いあいだ、神さまと仏さまは同じものだと考えられてきました。

明治時代の神仏分離令で両者が分けられてからの歴史はまだ100年と少ししかたっていません。

神道と仏教が混ざりあった神仏習合の状態が日本人にとっての宗教として、今でも日本人の心の底にあるのだと理解しさえすれば、諸外国の人々には奇異に映ったとしても、何もおかしなことではないのです。

神仏習合によって生まれた修験道は、日本人の心の底にある「神さま=仏さま」という考え方を、現代も伝えているもの。

日本人の宗教観が、具体的な信仰になったものと言って良いでしょう。

まとめ

日本の山岳信仰は、密教と出会うことによって、修験道を誕生させました。

修験道は、神仏習合の考え方が最も具体的に現れた信仰の形。

神さまも仏さまも信じる、日本人の宗教観のベースになっているものと言えるでしょう。

険しい山の中で悟りを得ようとする教えは、山の中の神社の境内に、厳かで凛とした雰囲気を与えるものとなりました。

山の中の神社に参拝したら、ぜひ境内に充ちている修験道の与えた凛とした雰囲気に、思う存分浸ってくださいね。

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