手長神社とはどんな神社?
長野県諏訪市に鎮座する手長神社。
諏訪大社の上社の末社となっている神社です。境内の周辺には、遺跡や古墳が数多く残り、この土地が長く信仰の中心だったことを伺わせます。
しかも、祀られている神様は、諏訪大社より前から諏訪で信仰されていたとされていたとされる歴史ある場所。
清浄な空気が流れる境内は、疲れた心と体が整えられていくような暖かな場所。日々の生活に疲れた方が訪れると良い神社なのです。
手長神社の後祭神は?
手名椎命(テナヅチノミコト)
ご利益は家庭円満、子育てなどです。
手名椎命の神話について
手長神社の御祭神は、手名椎命(テナヅチノミコト)という女神さま。
山の神さまである大山祇神(オオヤマツミノカミ)の子供で、諏訪大社の主祭神・建御名方神(タケミナカタノカミ)に仕える神さまだと言われています。
手名椎命は兄である足名椎命(アシナヅチノミコト)と夫婦になり、出雲国に住んでいました。
二柱の神さまは8人の娘に恵まれましたが、ヤマタノオロチがやってきて7人の娘を毎年1人ずつ食べてしまったのです。
最後に残った奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)までも食べられてしまうと、親子3人で嘆き悲しんでいるところにやってきたのが素戔嗚命(スサノオノミコト)でした。
事情を聞いた素戔嗚命は、それなら私がヤマタノオロチを退治してやると言い、奇稲田姫命を櫛に変えてヤマタノオロチを迎え撃ち、見事退治したのです。
奇稲田姫命を妻に迎えた素戔嗚命は出雲国を気に入り、宮殿を建てて足名椎命をこの地の首長にしました。
手長神社の歴史
手長神社の創建の由来は、はっきりわかっていません。
ただ、手長神社の境内付近には、旧石器時代の遺跡や古墳時代の遺跡、古墳などがあるので、境内付近にはかなり昔から人々が暮らしていたのは確かです。
おそらく、古くから住んでいた人たちによって作られた祭祀の場が、神社として発展していったのでしょうね。
やがてこの桑原郷の総鎮守となり、夫の足名椎命とともに祀られていました。
鎌倉時代に、桑原郷が上と下に分けられた時に、下桑原に手名椎命、上桑原に足名椎命とわけて祀られるようになったのです。
武家から厚く信仰されるようになった手長神社は、「諏訪の浮城」と呼ばれていた高島城の鬼門の方角にあったことから、諏訪藩の総鎮守として大切にされてきました。
現在の社殿は江戸時代に建てられたものですが、1952年(昭和27年)に火災にあい、修復されています。
手長神社の見どころ
手長神社の一の鳥居から境内までは、階段になっており山の雰囲気を感じるお社となっています。
この写真があるのは中学校の隣にある二の鳥居。私はこちらの隣にある駐車場に停めて参拝しました。
奥まっている拝殿も雰囲気があって素敵です。
拝殿
片側に廊下がある諏訪の地らしい、造りになっています。
弥栄神社
松尾大明神
おとなりには龍王大明神も祀られています。このほかにも末社がかなり境内にあるので、是非合わせてご挨拶していきましょう。
ご神木
手長神社の境内には「延命の杉」という御神木があります。写真でいう左端にある木がそれです。
御神木の梢を仰ぎながら三回深く息をすると、長寿になると言われています。参拝したら、ぜひ仰ぎながら深呼吸をしましょう。
清浄な気が流れる境内には、天然記念物のニホンカモシカが出没したこともあるのですよ。
以前は、境内の前に精進湯という温泉があり、そこで身を浄めてから参拝できたのですが、残念ながら2017年に閉鎖されてしまったのだとか。
周辺の見どころと観光地は?
参拝を済ませたら、手長神社から徒歩で約15分の位置にある八劔神社や、車で約10分の距離にある足長神社にもお参りするのもオススメですよ。
手長神社から徒歩約10分で移動できる片倉館は、1929年(昭和4年)に開業した社交と厚生のための開館。こちらは、建物が国の重要文化財に指定されています。
また、古代ローマ人が現代の日本にタイムスリップする人気漫画『テルマエ・ロマエ』が映画が製作されたときには、ロケ地にも選ばれました。
内部の見学や貸し切りにできる部屋なども用意されているだけではなく、大理石で作られた大浴場・千人風呂には天然温泉が満たされています。
もちろん、日帰り入浴も可能で、信州名物のそばなどを提供する食堂も営業していますから、参拝後にはぜひ立ち寄り、疲れを癒やして美味しい食事を楽しむのも良いでしょう。
手長神社へのアクセス
・公共交通機関を利用する場合
JR東日本中央本線上諏訪駅下車、徒歩約10分
・車を利用する場合
中央自動車道諏訪IC下車、国道20号経由約15分、もしくは岡谷IC下車、国道20号経由約25分
まとめ
境内の周辺に、遺跡や古墳が残り、古くから信仰の中心地だったことがわかる手長神社。
御祭神の手名椎命(テナヅチノミコト)は、諏訪大社の御祭神である建御名方神(タケミナカタノカミ)に仕える神さまだと言われています。
ところが、この諏訪では、建御名方神(タケミナカタノカミ)よりも先に、手名椎命(テナヅチノミコト)が信仰されてきたのだとか。
丘の中腹にある手長神社は、長い階段の先に境内があり、山から降りてきたニホンカモシカが境内に出没したことも。
穏やかな境内で、ご利益の家庭円満を願うだけではなく、疲れた心と体を癒やしに参拝してみてはいかがでしょう。