伊雑宮(いざわのみや)とは?
三重県志摩市に鎮座する伊雑宮。
皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮のひとつで、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られています。
三重県度会郡にある瀧原宮とともに、「天照大神の遥宮(とおのみや)」と呼ばれ、地元の方からは「磯辺の大神宮さん」として親しまれています。実はこの伊雑宮は、はっきりとした創建時期がわかっていない謎の多い神社。
伊雑宮は天照大御神が祀られたナゾの多い神社。それでは詳しくみてきましょう。
伊雑宮の御祭神
天照坐皇大御神御魂(アマテラシマススメオオミカミノミタマ)
天照坐皇大御神御魂とは、天照大御神のことです。太陽神であり、皇室の祖先とされる神様として日本で暮らすのであれば最も身近な神様になるでしょう。
伊雑宮の御祭神に関する神話
天照大御神は、国産みをした伊邪那岐命(イザナミノミコト)と伊耶那美命(イザナミノミコト)の間に生まれました。
月の神さまである月読尊(ツクヨミノミコト)と海と嵐の神さまである素戔嗚命(スサノオノミコト)という2柱の弟神がいます。
素戔嗚命は亡くなった母・伊耶那美命に会いたいから根の国に行きたいと泣き喚き、怒った父・伊邪那岐命に追放されてしまいました。根の国に行く前に姉・天照大御神に会おうと、素戔嗚命は高天原に向かいますが、姉からは弟が攻めてきたと勘違いされてしまいます。
なんとか誤解がとけ、高天原にいても良いことになった素戔嗚命。ところが、気が大きくなった素戔嗚命は乱暴なことをたくさん行ってしまい、弟の行状に呆れた天照大御神は、天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまいました。
そのため、世の中は真っ暗闇に包まれ、さまざまな災いが起きてしまったのです。
困り果てた高天原の神々は、天岩戸の外で宴会を開きます。「なんだろう?」と訝しんだ天照大御神がちらっと顔をのぞかせた時に、引っ張り出すことに成功したのです。
こうして、再び世の中は明るくなり、災いも遠ざかったのでした。
『古事記』に描かれた天岩戸のできことですね。
ところで、古代日本で皆既日食が起きたのを、皆さんは御存知ですか?
西暦247年3月24日と248年9月5日に、皆既日食が起きているのです。この2度の皆既日食が起きたのは、有名な邪馬台国の女王・卑弥呼の最晩年。
天岩戸の神話は、太陽神が隠れて再び現れるお話ですがどれも既日食を連想させるものだと思います。卑弥呼の最晩年に起きた2回の皆既日食が、天岩戸の神話のモデルになったのではないか、という学説もあるほど。もしかしたら、卑弥呼は天照大御神のモデルの一人だったのかもしれません。
伊雑宮の歴史について
伊勢神宮には合計14の別宮がありますが、それらの別宮のうち、創建された年月がはっきりしているお社は、実は倭姫宮ただひとつだけ。
伊雑宮も創建年代がはっきりしていませんが、第11代垂仁天皇の御世、約2000年前と言われています。
天照大御神を祀るためのふさわしい場所を求めて、垂仁天皇の皇女・倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は大和から旅立ちました。
諸国をめぐるうち、志摩国(三重県)にたどり着いた時、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)と出会います。伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が出迎えた地に、天照大御神をお祀りするお社を立てたのが、伊雑宮の創建の由来なのだとか。
伊佐波登美命(いざわとみのみこと)は、伊雑宮の神職・磯部氏の祖先だと言われています。
平安時代の804年(延暦23年)に書かれた史料に、「天照大神の遥宮」という記述が出てくるので、それ以前に伊雑宮のお社が存在していたのは確実。しかし、それより以前のことは、はっきりとした史料が残っていないため、実際の創建時期は不明と考えられているのですね。
平安時代末期、源氏と平家が争いを始めた頃、伊雑宮は源氏の味方をした熊野三山に攻撃され、おお社に祀られていた神宝を奪われるという悲劇に見舞われてしまいました。
この事件がきっかけとなって、時の権力者に神社を守ってもらうために、神職が事実とは異なる創建の由来を作り上げたのではないか、という学説もあります。
江戸時代には、伊雑宮こそが伊勢神宮の本来の内宮だというニセの史料を、神職が作成するという事件まで起きてしまいました。それでも1658年(明暦4年)には、朝廷から正式に皇大神宮の別宮となることが定められました。伊雑宮には、政治の争いに巻き込まれ、翻弄された悲しい歴史があるのです。
伊雑宮の謎について
江戸時代「このお社こそが伊勢神宮の本当の内宮」というニセの史料を神職が作ってしまうという事件が起きたのが伊雑宮。
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)はご神体である八咫鏡(やたのかがみ)とともに、天照大御神が遷座すべき場所を求めて旅をしました。
その時に、天照大御神が一時的にお祀りされた伝承のある場所を、元伊勢と言います。
各地の元伊勢は『古事記』と『日本書紀』の記述から、多くの古代日本を研究する歴史学者によって、「このお社ではないか」といくつも候補地があがっているのですが、伊雑宮はその候補地になっていません。
それならば伊雑宮の神職が、元々は伊勢神宮とは関係のないお社だったのを、時の権力者の保護を得るために伊勢神宮と結びつけてしまったのでしょうか?
他の別宮にはない3つの違い
ところが、そうとは言い切れないのですね。
伊雑宮には、伊勢神宮の他の別宮にはない、3つの大きな違いがあるのですよ。
神田
1つ目の大きな違いは、神田を持っていること。
神田とは文字通り、神さまに捧げるお米を作る田んぼのことです。
伊勢神宮には外宮と内宮をあわせて合計14の別宮がありますが、このうち、神田を持つのは伊雑宮のみ。
出典:伊勢神宮公式HP
毎年6月24日に行われる御田植式は、茨城県の香取神宮、大阪府の住吉大社のものと合わせた日本三大御田植祭のひとつで、国の重要無形文化財に指定されています。
内宮の荒祭宮に遥拝所
2つ目の大きな違いは、内宮の荒祭宮に遥拝所があったこと。
荒祭宮は、内宮正宮に参拝してから参拝するお社で、天照大神(アマテラスオオミカミ)の荒魂(あらみたま)が祀られています。
神さまには、優しくて穏やかな和魂(にぎみたま)と荒々しい荒魂(あらみたま)、その他に幸魂(さきたま)と奇魂(くしたま)という側面があるのです。
その荒魂が祀られたお社に、江戸時代までは伊雑宮の遥拝所があったのです。
江戸時代に刊行された『伊勢神宮名所図会』に、この伊雑宮遥拝所は描かれています。
内宮おかげ参道(駐車場から内宮おはらい町を結ぶ地下道)の壁面に展示されているので、お参りに行った際は見てください。
忌火屋殿
3つ目の大きな違いは、忌火屋殿(いみびやでん)があること。忌火屋殿は、神さまに供える食事やお酒を用意する場所になります。
伊勢神宮の14ある別宮のうち、忌火屋殿を持つのは伊雑宮だけなのです。
神田と忌火屋殿をもち、以前は内宮に遥拝所が設けられていた伊雑宮。他の別宮と伊雑宮との大きな3つの違いはとても重要なものだと言えるでしょう。
伊雑宮境内の見どころとパワースポット
伊雑宮は皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮ですが、ただひとつだけ伊勢市ではなく、志摩市に鎮座するお宮です。内宮から距離が離れているため、内宮を参拝してからお参りするのは車を利用するのが便利。
本殿
手水舎
井戸
宿衛屋
伊雑宮の鳥居をくぐると、すぐ宿衛屋があります。こちらでは、お守りと御札、御朱印などを受けることができます。
巾着楠
宿衛屋の横にある特徴的な御神木。名前を巾着楠といい、樹齢700〜800年とも言われます。巾着楠という名は、根元がまるで巾着のような不思議な形をしているためです。巾着楠のそばに立つだけで、不思議なパワーに満たされていくような気持ちになりますよ。
勾玉池
境内には、勾玉の形をした勾玉池がありますが、絶対に入ってはいけないという注意書きのある場所になります。決して、池の中に入ったりしないでくださいね。
周辺の見どころ
伊雑宮の徒歩圏内には、神様への信仰を感じるスポットもあり参拝したら近くを散策しても面白いでしょう。
磯部の御神田
グルメならうなぎ料理
伊雑宮のある志摩市磯部町の名物はうなぎ料理。伊雑宮への参拝を終えて、時間があれば鳥居前にあるうなぎの名店・中六へいってみても良いでしょう。
中六の建物は、国の登録有形文化財に指定されている1929年(昭和4年)の建築。
とても見応えがあります。お値段もリーズナブルなので、ぜひ寄ってみてくださいね。
伊雑宮へのアクセス
・公共交通機関を利用する場合
(最寄り駅への行き方)
JR東海参宮線・近畿日本鉄道山田線伊勢市駅より賢島行き乗車43分、上之郷駅下車徒歩2分
もしくは近畿日本鉄道山田線・鳥羽線宇治山田駅より賢島行き乗車41分、上之郷駅下車徒歩2分
(内宮より直接行く場合)
伊勢神宮内宮前バス停より51系統で宇治山田駅前行き乗車6分、五十鈴川駅前下車、近鉄五十鈴川駅より鳥羽駅乗り換えで賢島行き乗車上之郷駅下車徒歩2分
*外宮、内宮を参拝してから伊雑宮にお参りしてください。内宮からはバスと電車を利用して約1時間程度で移動可能です。
・車を利用する場合
伊勢自動車道伊勢西IC下車、県道32号経由外宮まで約3分、外宮から内宮まで県道12号、32号経由約12分、内宮より県道12号、32号、国道167号経由約30分。
まとめ
三重県志摩市に鎮座する伊雑宮。
伊雑宮の鳥居をくぐって境内に入ると、そこにはとても厳かで神聖な気が満ちています。鳥居の外から見てもそのお社の深さが計り知れないというか、異次元のパワーを感じる場所でした。
元伊勢の候補地には入っていなくても、内宮に遷座する以前は、こここそが内宮だったのかもと思えてくるかもしれません。ご自分でお参りして確かめてみてください。
皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮で、「天照大神の遥宮(とおのみや)」と呼ばれています。伊勢神宮の他の別宮にはない神田と忌火屋殿をもち、江戸時代には内宮の荒祭宮に遥拝所もあった特別なお社。
元伊勢の候補地には入っていませんが、もしかしたら内宮に天照大御神が遷座する前に祀られていたのではと思う雰囲気を感じます。異次元を感じるパワースポット。皇大神宮の内宮を参拝したあとに、足を運んでみてくださいね。