日本で一番古い、歴史のある神社ってどこなの?

日本全国には、文部科学省に登録されている神社が、約8万5千もあると言われています。

登録されていない小さなお社まで含めると、その数はさらに増え、現在では10万を超すとも言われています。

では、その中で日本で一番古い、歴史のある神社はどこでしょう?

最も古い神社ってよくわからない

はっきりと「○○神社です」とお答えできる方はいないのではないでしょうか。

それもそのはず、古代日本には文字がなかったため、神社の成り立ちを証明する史料が存在しないのです。

ですから、一番古い神社はここだ!という断定はできません。ただし、一番古い神社の候補はありますので、今回はこちらをご紹介していきます。

この記事を参考に、歴史の古い神社にぜひ参拝してみてください。日本という国をより好きになれるかもしれませんよ。

そもそも、神社はいつ頃からあったの?

そもそも、神社はいつ頃からあったのでしょう?

この問いに、明確な答えを得ることはできません。神社に伝わっている文字史料や考古学の発掘成果などを駆使しても、誰もその問いに正確な答えを出せないのです。

日本は自然の豊かな国ですよね。

自然の豊かな日本の国土は、人々に大きな恵みをもたらす一方で、大きな災害を起こし、多大な被害をもたらしてきました。

人々は自然に感謝すると同時に、畏怖いふの気持ちを抱き、自然の恵みを得れば感謝し、災害が起きれば鎮まるよう、祈りをささげていたのです。

自然を敬い、恐れる気持ちが祈りを生み、やがて自然への祭祀さいしの場所が定まっていき、そうした場所が神社へと発展していったのですね。

縄文時代の遺跡から発掘された祭祀の跡を、祈りの場としての神社の原型と考えることも可能でしょう。

祈りの場としての神社の始まりは、人々が食物を採集するために移動する生活から、定住して生活を始めた頃だったと言えるのではないでしょうか。

時代が下り、弥生時代には日本列島に何回かに分けて中国大陸や朝鮮半島から人々が渡来し、さまざまな文化がもたらされました。

渡来人たちがもたらした文化によって、お社が建てられるなどしていき、祈りの場は、どんどんと洗練されていったのでしょう。

あくまでもひとつの考え方ですが、祈りの場としての神社の原型は、縄文時代に始まり、お社のある現在の神社の原型は、弥生時代に始まった、と言えるのかもしれません。

日本で最も古い神社の考え方

では、一番古い、歴史のある神社はどこなのでしょう?

先ほどお伝えしたように、その問いに対する明確な答えはありません。

手がかりとして、一番古く歴史のある神社の候補となる神社は、どのような神社になるかを考えてみましょう。

神社の伝承などを元にして考えると、神社の創建時期は大まかに3つに分かれます。

  1. 初代神武天皇の即位以前に創建されたと伝えられている神社
  2. 初代神武天皇の即位から『古事記』『日本書紀』の成立期までに創建されたと伝えられている神社
  3. 奈良時代以降、神社の伝承以外に、文字史料で創建時期が確認(あるいは推定)できる神社

ものすごく大まかな分類方法ですが、上記3つのタイプのうちで、一番古く歴史のある神社の候補として考えられるのは、1の神武天皇即位以前に創建されたと伝えられる神社ですよね。

1の神武天皇即位以前の時代を、神代(かみよ、神が治めていた時代)と言います。

日本最古の神社の最有力候補は『大神神社』

神代に創建されたと伝えられる神社の中でも特に古くからあると考えられているのが奈良県桜井市の大神神社。

御祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)です。

大己貴神(オオムナチノカミ)は、一緒に国造りをしていた少彦名神(スクナヒコノカミ)を小柄だとからかって怒らせてしまい、常世とこよに帰られてしまいます。

たった1人現世に取り残されてどうすれば、と考えていると、海から大己貴神の和魂にぎみたまが現れ、「三輪山に祀れば国造りに力を貸す」と告げたのです。

大己貴神の和魂が、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。こうして三輪山に和魂が祀られたのが、創建の由来なのだとか。

現在でも拝殿を設けず、三ツ鳥居からご神体である三輪山を臨む、最も古い祭祀の形を今に伝える大神神社は、日本で一番古い神社の最有力候補です。

摂社の檜原神社(ひばらじんじゃ)は、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、宮中の外で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)をお祀りした元伊勢の始まりの地・倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)と伝えられています。

アクセス

公共交通機関利用の場合
JR西日本万葉まほろば線(桜井線)三輪駅下車、徒歩10分

自動車利用の場合
西名阪自動車道天理IC下車、国道169号経由、約25分

*天気が良く、気候の良い時期は、近鉄橿原神宮前駅か大和八木駅で自転車を借りて参拝しても気持ちが良いですよ。

最古レベルの歴史ある神社

宗像大社(むなかたたいしゃ)

福岡県宗像市に鎮座。沖ノ島にある沖津宮(おきつぐう)、筑前大島の中津宮(なかつぐう)、宗像市の辺津宮(へつぐう)の3つのお社からなる神社で、2017年(平成29年)に世界遺産に指定されました。御祭神は、宗像三女神(宗像大神)と言われる三柱の女神。

沖津宮が田心姫神(タギリヒメノカミ)、中津宮が湍津姫神(タギツヒメノカミ)、辺津宮が市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)を祀っています。高天原を奪いに来たと天照大御神(アマテラスオオミカミ)に疑われた須佐之男命(スサノオノミコト)は、疑いを晴らすために誓約(うけい、古代日本で行われた占いのこと)を行いました。

その時に天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、須佐之男命(スサノオノミコト)の十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、息を吐き出したのです。その息の中から生まれた三柱の女神が、宗像三女神なのですね。

宗像三女神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令を受け、高天原から天下った瓊々杵命(ニニギノミコト)を見守るために、玄界灘に浮かぶ島々に降り、島を治めたのです。それが宗像大社の始まりだと言われています。

古代の祭祀遺構などが数多く残る沖ノ島の別名は、「海の正倉院」。島内で見聞きしたことを口外することも許されない女人禁制の御神域で、許可されない限り、神職以外は沖ノ島に行くことはできません。筑前大島に遥拝所が設けられているので、そこから沖合を参拝してくださいね。

宗像大社へのアクセス

公共交通機関利用の場合
辺津宮→JR西日本鹿児島本線東郷駅博下車、西鉄バス宗像大社前行乗車、バス停宗像大社前下車、徒歩1分
中津宮→バス停宗像大社前より光陽台六丁目行乗車、バス停神湊波止場下車、徒歩で神湊渡船ターミナルに移動、宗像市営渡船大島航路渡船大島方面乗船、大島港下船、徒歩4分
沖ノ島遥拝所→中津宮より県道541号で徒歩約25分、タクシー利用で5分

自動車利用の場合
辺津宮→九州自動車道古賀IC下車、国道3号、県道503号経由、約25分
中津宮→辺津宮より県道69号経由で神湊へ、大島方面フェリーに乗船、大島渡船ターミナル
下船、約1分

*神湊から運行されているフェリーは、車・バイクを載せることができる大型と、人間乗船用の小型の2種類。休日は大型のみの運航ですが、平日は2種類の運航です。中津宮に車で行く場合は、フェリーの時刻表を事前に確認することをおすすめします。

住吉神社(すみよしじんじゃ)

福岡市博多区に鎮座。御祭神は住吉三神です。大阪の住吉大社、下関の住吉神社と合わせて三大住吉のひとつに数えられている古いお社であり、日本全国にある住吉神社の始まりの神社。

黄泉の国から帰った伊邪那岐尊(イザナミノミコト)は、穢れ(けがれ)を祓う(はらう)ため、筑紫日向(ちくしひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはきはら)で禊(みそぎ)を行いました。その時に、底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表筒男命(ウワツツノオノミコト)の住吉三神が生まれます。

住吉神社は、伊邪那岐尊(イザナミノミコト)が穢れを祓った阿波岐原(あはきはら)に建てられたお社。住吉三神の生まれた地に建てられたお社なのです。

住吉神社へのアクセス

公共交通機関利用の場合
JR西日本・JR九州・福岡市営地下鉄博多駅下車、徒歩10分

自動車利用の場合
九州自動車道太宰府IC下車、福岡市高速2号、高速環状線、国道3号経由、約20分
福岡高速道路環状線天神北IC下車、県道602号経由、約10分

*福岡空港から地下鉄を利用すれば、博多駅まで5分で移動できます

志賀海神社(しかうみじんじゃ)

福岡市東区に鎮座。国宝の金印が出土した志賀島に鎮座する神社です。

御祭神は綿津見三神(わたつみさんじん)。3つある拝殿には、神功皇后(じんぐうこうごう)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、第15代応神天皇(おうじんてんのう)も祀られていますよ。

綿津見三神(わたつみさんじん)は、底津綿津見神(そこわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかわたつみのかみ)、上津綿津見神(かみわたつみのかみ)の総称。黄泉の国から帰った伊邪那岐尊(イザナミノミコト)が穢れを祓った時に、住吉三神とともに生まれたと言われています。古代氏族の阿曇氏が綿津見三神(わたつみさんじん)を祖神(そしん、神として祀る先祖)として祀っていました。

現在も阿曇氏の子孫が神官をつとめている古いお社で、『君が代』の原型ではないかと言われる歌が伝わっていることでも知られていますよ。

志賀海神社へのアクセス

公共交通機関利用の場合
JR九州香椎線香椎駅より西戸崎行き乗車、西戸崎駅下車、西鉄志賀島小学校行き乗車、バス停志賀島下車、徒歩5分
もしくは西戸崎駅下車後、福岡市営渡船志賀島行き乗船、市営渡船志賀島で下船、徒歩6分

自動車利用の場合
福岡高速道路環状線呉服町出入口より進入、福岡都市高速環状線、海の中道(県道59号)経
由、約30分

出雲大社(いずもおおやしろ)

島根県出雲市に鎮座。御祭神は大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)です。

国譲りのとき、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)は条件として「私の住居を、天津神の住居のように太く深い柱で高く立派な宮を作っていただければ、そこに隠れ住みます」と伝えます。天津神たちはその条件を受け入れ、立派な宮殿を建てました。

それが出雲大社の創建の由来で、古代のお社は高さが48メートルもあったと言われています。古代のお社が、実際にそれだけの高さがあったのか疑われていましたが、近年、直径が1.4メートルもある杉の大木を3本まとめた太い柱が出雲大社で発掘され、その柱の太さの耐荷重を計算したところ、40メートル以上の高さの建物を支えることが可能だということが発見されました。

40メートル以上の高さがある本殿の模型は、出雲大社から徒歩1分で行くことができる古代出雲歴史博物館に展示されていますから、参拝のあとにぜひ、見学してみると良いでしょう。

出雲大社へのアクセス

公共交通機関利用の場合
JR西日本山陰本線出雲市駅下車、一畑バス出雲大社行乗車、バス停正門前下車、徒歩1分

自動車利用の場合
山陰自動車道出雲IC下車、国道431号経由、約15分

須佐神社(すさじんじゃ)

島根県出雲市に鎮座。御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)です。

高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲でのちに妻となる稲田比売命(イナダヒメノミコト)と出会い、毎年現れて姉たちを食い殺してきた八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を成敗しました。

すっかり出雲を気に入った須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲を開拓し、最後に開拓したこの地に自分の名前からとって「須佐」と名付け、御魂を鎮め、亡くなったのです。終焉の地にお社が築かれたのが創建の由来なのだとか。

須佐の七不思議と呼ばれる不思議な伝承が残る境内には、樹齢1300年にもなる大きな杉の御神木があり、見応えがありますよ。

須佐神社へのアクセス

公共交通機関利用の場合
JR西日本山陰本線出雲市駅下車、一畑バス須佐線乗車、バス停出雲須佐下車、徒歩約45分、
もしくはタクシー乗車で約6分

自動車利用の場合
山陰自動車道出雲IC下車、国道39号経由、約25分

*須佐神社は交通の便が良くない場所にあるので、車での参拝が便利です

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)

兵庫県淡路島市に鎮座。御祭神は伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)です。

国産みを終えた伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)に後事を託し、最初に生んだ淡路島の多賀に幽宮(かくれみや)を建て、そこで余生を過ごし、亡くなりました。幽宮(かくれみや)の跡地に伊弉諾尊(イザナギノミコト)の陵(みささぎ)が築かれ、陵に祭祀が行われるようになったのが創建の由来。

現在の社殿は、1882年(明治15年)に、それまで禁足地だった陵の上に建てられたもの。境内にある放生(ほうじょう)の神池は、陵の濠(ほり)の遺構だと言われ、病気平癒を願って鯉を放ち、快癒のお礼に亀を放つ習慣があります。

また、900年以上の樹齢を持つ婦の大楠(めおとのおおくす)は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)が宿る御神木として信仰され、安産・子授け、夫婦円満のご利益で知られていますよ。

伊弉諾神宮へのアクセス

公共交通機関利用の場合
神姫バス三宮バスターミナルより高田屋嘉兵衛公園行バス乗車、バス停伊弉諾神宮前下車、徒歩1分

自動車利用の場合
神戸淡路鳴門自動車道津名一宮IC下車、県道88号経由、約5分

日吉大社(ひよしたいしゃ)

滋賀県大津市に鎮座。全国にある日吉・日枝・山王神社の総本社で、御祭神は大山津見神(オオ
ヤマツミノカミ)です。『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の
山に坐し」とあるのが、文献史料上に日吉大社が初めて登場した記述なのですが、創建の由来は詳しくはわかっていません。「近淡海国の日枝の山」は、現在の比叡山のこと。第10代崇神天皇の御代に、比叡山の山頂にあったお社が現在の日吉大社の場所に移されたのだとか。山頂にお社が築かれたのは、それよりも前だったということですね。平安時代には、都の鬼門(北東)に比叡山があったことから、鬼門・災難除けとして信仰を集めました。徒歩30分ほどの距離には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀(あけちみつひで)の居城・坂本城跡があります。また、近比叡山鉄道坂本ケーブル駅からケーブルカーを利用すれば、比叡山延暦寺まで30分程度で移動できます。紅葉の季節の比叡山はとてもきれいですよ。参拝したら、ぜひ足を伸ばしてくださいね。

日吉大社へのアクセス

公共交通機関利用の場合
JR西日本湖西線比叡山坂本駅下車、徒歩約20分
京阪電鉄石山坂本線坂本比叡山山口駅下車、徒歩8分

自動車利用の場合
名神高速道路大津IC下車、琵琶湖西縦貫道路、国道161号経由、約20分

諏訪大社(すわたいしゃ)

長野県に鎮座。全国にある諏訪神社の総本社で、諏訪湖を挟んで諏訪市に本宮、茅野市に前宮、
諏訪郡下諏訪町に秋宮と春宮の4つのお社があり、本宮と前宮を上社、秋宮と春宮を下社と呼びます。上社には本殿が設けられておらず、守屋山(もりやさん)をご神体とする古い信仰形態を現代に伝えるお社のひとつ。御祭神は、大国主命(オオクニヌシノミコト)の子である建御名方神(たけみなかたのかみ)と、『古事記』と『日本書紀』には登場しない、女神の「八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱。国譲りに反対して建御雷神(タケミカヅチノカミ)に敗北した建御名方神(たけみなかたのかみ)は、諏訪に逃れ、以後は諏訪から出ないことと天津神(あまつかみ)に従うことを誓ったのです。複数の創建の伝承があるため、由来ははっきりしていませんが、この神話にも由来しているのでしょうね。4つのお社にはいずれも4隅に御柱(おんばしら)と呼ばれるモミの柱が建てられており、寅年と申年に建て替えられています。山中からモミの木を切り出し、お社まで運ぶ御柱祭(おんばしらまつり)はとても有名。日本三大奇祭のひとつで、長野県の無形民俗文化財にも指定されていますよ。

諏訪大社の4神社へのアクセス

公共交通機関を利用する場合
上社本宮まで→JR東日本中央本線茅野駅下車、徒歩45分、もしくはタクシー利用で約10分
上社前宮まで→JR東日本中央本線茅野駅下車、徒歩30分、もしくはタクシー利用で約8分
下社秋宮まで→JR東日本中央本線下諏訪駅下車、徒歩約10分
下社春宮まで→JR東日本中央本線下諏訪駅下車、徒歩約16分

自動車を利用する場合
上社本宮まで→中央自動車道諏訪IC下車、国道20号経由、約5分
上社前宮まで→中央自動車道諏訪IC下車、国道20号、152号経由、約7分
下社秋宮まで→中央自動車道岡谷IC下車、国道20号経由、約13分
下社春宮まで→中央自動車道岡谷IC下車、国道20号経由、約10分

まとめ

日本には小さなものも含めると、10万以上の神社があると言われていますが、その中で、一番古い、歴史のある神社はどれか、という問いにはおそらく誰も答えられません。

この記事では、神武天皇の即位以前に創建されたと考えられている神社から、代表的な神社を候補としてご紹介しました。

神武天皇即位以前に創建されたと考えられている神社は、他にも何カ所かあります。ぜひ、ご自分でも調べて、日本で一番古い、歴史のある神社はどこかを考えてくださいね。

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