倭姫宮(三重県伊勢市)内宮の別宮のひとつ|神宮を創建した女神様を祀る神社

倭姫宮とは?

三重県伊勢市に鎮座する倭姫宮。

皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮のひとつで、内宮を創建した倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が祀られた神社です。

倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は、第11代垂仁天皇の第4皇女。

伊勢神宮のはじめの斎宮となった皇女で、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のおばさまとしても知られています。

斎宮(さいぐう)とは

天皇の名代として伊勢神宮に遣わされた皇女。また、その居所。天皇が即位すると未婚の内親王または女王から選ばれ、原則として譲位まで仕えた。

引用:weblio

しかし、明治時代以前には倭姫命を祀る神社はなぜかありませんでした。大正時代に、この倭姫宮で祀られたのが初めてだったそう。

はじめの斎宮となった皇女が祀られたお社でありながら、意外に新しいお社、それが倭姫宮なのです。

倭姫宮の御祭神

倭姫命(ヤマトヒメノミコト)

倭姫命に関する神話
倭姫命は、先述のとおり第11代垂仁天皇の第4皇女になります。第10代崇神天皇の時代には、百姓が離反し謀反を起こすなどかなり国が乱れていたといいます。

この原因を崇神天皇は、自分の宮殿に天照大神(アマテラスオオミカミ)と倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマノカミ)の2柱祀ったためと考えました。

これによって神々が怒ったのだと考え、神々を宮殿ではない別の場所に祀ろうと画策します。

崇神天皇が2人の娘である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)と渟名城入姫命(ぬなきいりべのみこと)を呼び寄せると、宮殿の外にふさわしい神様を祀る場所を見つけるように指示しました。

こうして、豊鍬入姫命が天照大神を、渟名城入姫命が倭大国魂神を祀ることになりました。

ところが、渟名城入姫命はどんどん髪が抜けてやせ衰えてしまい、倭大国魂神を祀ることができなくなってしまいました。

一方、豊鍬入姫命は大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に天照大神(を祀り、さらにふさわしい場所を探して移動しながらも、無事に祭祀を続けることができたのです。

その後、崇神天皇が崩御し、垂仁天皇が即位しました。

天照大神を祀る皇女も天皇の代替わりによって交代することになり、垂仁天皇の第4皇女・倭姫命(ヤマトヒメノミコト)にその白羽の矢が立ちます。そうして、倭姫命は天照大神を祀るのにふさわしい場所を探すために、旅に出ました。

倭姫命は、大和国(奈良県)から伊賀(三重県)、近江(滋賀県)、美濃(岐阜県)、尾張(愛知県)の諸国を旅したのちに伊勢(三重県)に入り、御神託を受けて皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したのです。

倭姫命が旅の間大切に守り続けた天照大神)の御神体・八咫鏡(やたのかがみ)は、旅先の神社などに一時的にお祀りされました。こうした八咫鏡が祀られた伝承を持つ神社や場所のことを、「元伊勢」と呼びます。

豊鍬入姫命)が大和の笠縫邑に天照大神を祀り始めてから、倭姫命が皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建するまで、約90年かかったのだとか。こうして天照大神は伊勢に鎮座され、倭姫命は天皇の皇女が伊勢神宮の巫女となる斎宮の起源となったのです。

 

第12代景行天皇の御世、東国征伐に赴く日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が伊勢に立ち寄りました。

景行天皇と倭姫命(ヤマトヒメノミコト)はともに垂仁天皇の子供で、母親も同じ日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)です。

倭姫命(ヤマトヒメノミコト)にとって、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は甥にあたるわけですね。

「父上は私を嫌っておられる、死ねば良いと思っておられるのか!」と嘆く日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を与え、無事を願いました。

神に仕える斎宮は結婚することを許されませんから、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は倭姫命(ヤマトヒメノミコト)にとって、甥というより我が子のように愛おしい存在だったのかもしれませんね。

その後、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は伊勢の地で亡くなり、尾上御陵(おべごりょう)に埋葬されました。

尾上御陵(おべごりょう)は、伊勢神宮の内宮と外宮の間にある宇治山田陵墓参考地・尾部古墳ではないかと考えられています。

倭姫宮の歴史について

伊勢神宮には内宮・外宮の両方を合わせると、合計14の別宮があります。

それらの別宮のうち、創建された年月がはっきりしているお社はほとんどありません。

唯一の例外が、倭姫宮なのです。

明治以前、はじめの斎宮であり、神道の基礎を作ったと言われる存在でありながら、倭姫命を祀るお社はありませんでした。

明治20年頃から、伊勢神宮周辺の宇治山田の住民から「倭姫命をお祀りするべきだ」という声が上がるようになります。

やがてその声は、宇治山田市長を動かし、市長は倭姫命をお祀りするお社を建てるよう、1912年(大正元年)に国会に陳情したのです。そして、ついに1923年(大正12年)11月5日、倭姫命が眠る宇治山田陵墓参考地・尾部古墳のそばに、倭姫宮は創建されました。

太平洋戦争中、空襲で社務所が焼けてしまったことはあったそうですが、本殿は無事だったといいます。

倭姫宮への参拝の順番は?内宮の前か後か

「お伊勢参りは、外宮から」という言葉を聞いたことがありすでしょうか。

実は伊勢神宮は、まず外宮をお参りしてから内宮をお参りすることがならわしなのです。

外宮にお祀りされているのは、天照大神(アマテラスオオミカミ)の食事を司る豊受大神(トヨウケノオオミカミ)さま。

内宮にお参りする前に、神饌と呼ばれる神様のお食事をお供えするのがならわしになっています。

ですから、近いからという理由で宇治山田駅から内宮や倭姫宮にいきなりお参りしたりせず、外宮の豊受大神さまに必ずご挨拶をしましょう。

また倭姫宮は内宮の別宮という位置づけ。こちらも内宮にお参りしたあとが良いでしょう。

外宮⇒内宮⇒別宮

これが理想です。

お伊勢参りをじっくりしたい場合は、1泊2日の日程で初日に外宮と内宮、2日目に倭姫宮参拝と伊勢市内観光というプランで旅行すると楽しいですよ。

倭姫宮の見どころとパワースポット

手水舎

 

倭姫宮周辺の観光地・名物

伊勢神宮の周辺観光名所・名物といえば、なんと言ってもおはらい町とおかげ横丁ですね。

名物の伊勢うどんや赤福、志摩地方の郷土料理・てこね寿司や松坂牛を使った料理など、美味しいものがたくさんあります。ぜひ、立ちよって楽しんでください。

神宮徴古館

また、伊勢は鳥羽に近いので、足を伸ばして鳥羽・志摩の観光をするのも楽しいですよ。

鳥羽には、日本で初めて真珠の養殖に成功した御木本幸吉を記念した、真珠がどうやって養殖されるかわかるように展示されたミキモト真珠島があります。

街へ行くと東京や大阪の宝石屋さんで購入するよりも安く、真珠のアクセサリーを購入することが可能となります。

倭姫宮へのアクセス

・公共交通機関を利用する場合

JR東海参宮線・近畿日本鉄道山田線伊勢市駅下車、外宮まで徒歩5分、もしくは近畿日本鉄道山田線・鳥羽線宇治山田駅下車、外宮まで徒歩10分、外宮前バス停より宇治山田駅行き乗車16分、内宮まで徒歩12分 内宮前バス停より神宮会館前行き乗車10分、バス停徴古館下車徒歩4分

・車を利用する場合

伊勢自動車道伊勢西IC下車、県道32号経由外宮まで約3分、外宮から内宮まで県道12号、32号経由約12分、内宮より県道12号経由約12分。

※外宮、内宮を参拝してから倭姫宮にお参りしてください。内宮からはバスを利用して約30分程度で移動可能です。

まとめ

三重県伊勢市に鎮座する倭姫宮。

皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮で、伊勢神宮のはじめの斎宮となった倭姫命が祀られています。

お社は比較的新しく、大正時代になってから、周辺住民の要望で創建されました。

「お伊勢参りは、外宮から」と言われていますので、外宮と内宮をお参りしてから、神道の形式を整えたと言われる倭姫宮をお参りしてください。

伊勢名物はそれからたっぷり楽しんでくださいね。

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